48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

緊急事態発生。救急車で病院へ行く

朝、母の体調が悪くて、病院へ。

手の震えがすごくてかなりびっくり。

電話で救急車を呼んだ。

母の熱があったため、一人しか病院に行けず、私が行く事に。

救急車に乗るのはいつ以来だろう。

考えてみると、5-6年前、自分が乗ったんだっけ。

だから救急車乗った時も、物珍しさとかがなかったのか。

 

病院に到着して母が名前を聞かれたとき、答えられなかったのには驚いた。

痴呆かと思ったが、後で考えると単に話すのが辛かっただけっぽい。

 

医師のいる病室に通されたが、当たり前なのかもしれないが、至って普通の対応。

こっちは緊急だと思ってるのだが、向うとしたら毎日何人も飽きるほど対応してるのだろうし、見ただけで緊急性がある程度わかるのだろうな。

先生に色々質問された時、色々不安が沸きあがってきた。

自分に原因があるのでは、とかなり不安になった。

~「昨日は何を食べましたか?」

昨日、自分が作って食べた焼きそばが原因?

豚肉を入れたのだが、半生だったのだろうか。

~「近くに風邪とかコロナにかかった人はいましたか?」

2日前、透明の鼻水が止まらない事があった。風邪だったのかも?

いや、もしかしたら海外でコロナにかかって、感染に気付かぬまま帰国して、それをうつしてしまった?

・・・これは一番不安があった。

検査している間、待合室で2時間程待っていて、最悪の事態を考えてしまった。

自分が原因で、何か大事になってしまったらどうしよう?

自分が日本に帰ってこなければこんな事にならなかったのでは?

 

その後、各検査をして結果が出るまで、点滴打ちながらベッド横で待っていた。

時間つぶしには慣れているし、飛行機乗った後だったのでそこまで苦痛ではなかった。

飛行機A320のあの狭い空間に5時間以上に比べると楽。

とはいえ、背もたれもないパイプ椅子なので辛い事は辛い。

 

こうして病院にいると、赤ん坊の時、親~特に母親は色々自分の時間を割いて色々やってくれたんだろうな、って思う。

何歳になるまでか分からないが、赤ん坊からそれなりに一人で色々出来るようになるまで、誰かが24時間四六時中ずっと一緒に居て、面倒見ないといけない。

それも数日、数カ月ではなくて、数年だもんなあ。

それってとんでもなく大変なこと。世のお母さんはすごいなあと思う。

もちろんその間、労働に従事してお金を稼ぐお父さんもすごい存在だと思う。

僅か数時間傍にいただけで辛いなんて言ってられないよなあ。

 

検査の結果、細菌が体内に入ってそれが原因だったようだ。

コロナではなかったので良かった。

抗生物質を貰ってタクシーで帰宅。飲んで良くなればいいんだけど。

 

今年の4月に海外出た理由の1つは、今後の介護の時期を考えると、今のうちしか行けないと思ったから。

何も恩返しは出来てないのだから、せめて両親の介護だけは自分の手でやろうと思ってる。

今回の件だけでは何とも言えないが、もしかしたらその時期は、自分の計画より全然早くなるかもしれない。

少なくとも、あと2-3年は大丈夫だと思っていたが、難しいかもしれない。

 

しかし帰国してわずか数日でこんな事になるとは。

タイミング的には、自分が帰ってきた時で、ちょうど良かったのかもしれないけど。

この先どうなるやら、不安しかない。