48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【50代派遣】どこへ行っても人、人、人。疲弊する都心生活

いつからだろう。

こんな人が多いと気づき、それを見るだけで気疲れして、辛くなってきたのは。

 

大学時代、海外のビーチへ行く事が目的の1つだったと記憶している。

日本の海水浴場。どこも人、人、人。

そんな海で楽しめるのか。

そんな時にいつも頭に浮かんできたのが海外のビーチ。

南国の雰囲気があり、綺麗で空いているビーチがたくさんある。

旅のルートには必ず海やビーチを入れていた。

それとは別に学生時代の旅の最後の締めはパタヤだったかな。

 航空券をバンコクで買ってたから、タイは旅のスタート地点であり、旅の終了地点でもあった。

旅の疲れをパタヤでとって帰国。そして大学生活+バイト生活に戻る、っていうパターンだった。

あの頃のパタヤは旅の休息地という位置づけで、何か心地良く好きだった。

 

混雑の事に話を戻すと、既に30年前に日本のビーチの人の多さにうんざりしてたという位だから、日本の混雑具合に辟易していたのだろうか。

街の混雑、渋滞とかはどうだろう。

朝夕の満員電車は昔からだろうが、昼間の電車はそれなりに空いていた気がする。

渋滞も昔も今も変わらない気もする。

ただGW等の連休中の都内の人、車の量は確実に増えてると思う。

 

日本の観光地。そんな行ったことはないけど、昔の観光地はそこまで混雑が酷いイメージはなかった。

その頃、漠然と「若い時は海外を堪能して、老後は国内観光地を平日人が少ない中でゆっくり廻ろう。」などと考えていた。

もはやそれはほぼ不可能。平日ですらどこも混んでるイメージ。

こんなに海外からの観光客が増えてしまうとはね。

昔だったら考えられない東南アジア、インド、中東、旧共産圏の白人層が旅行出来る収入になってしまった。

これが悪いという訳ではないけど、昔海外旅行に行けるのは、極一部の先進国、アジアでいうと日本位だった。

あの頃の方が色んな面で良かったし楽しかった感じがする。

 

今一番プライベートなスペースが広くとれて気持ち的に休まる場所。

それは職場かもしれない。

職場で気持ちが休まるのは、ある意味幸運かも。

 

本来、家がそういう場所であれば一番望ましい。

実家は狭い上、両面道路に挟まれている。人も車も通る。

住宅街だったので、昔は平日は地域の人、週末も観光客みたいな部外者は歩いていなかった。

団地もあり、割烹着きたおばさんが行き来するような感じだった。

今は割烹着きて買い物に行くおばさんや、近所のおばさん同士の立ち話とかは皆無と言っていい。

 

街と街の間にあるので、今はおしゃれをした人が散歩ついでに歩いて行く。

うっとおしいけど、これはどうしても防げない事。

当然外国人も歩いている。昔はせいぜいアメリカ人とか先進諸国の人間。

今は中国語をはじめ、東南アジアの言語が聞こえてくる。

これは昔なら考えられない事だった。

昔も地域によったらそういう場所もあったけど、観光ではなく仕事の為に来ている人がほとんどだった。

日本が安くなっている。そういう事だろうか。

 

昔は実家の住環境が嫌だとかは全然考えた事がなかったなあ。

今は家の前を通り過ぎる人の話し声や車の音が気になりすぎて何も集中できない。

よって3種類程の耳栓、イヤーカフ、2つのノイキャンヘッドフォンを就けて生活している。

これは異常だよな。

しかしこんなの昔は気にした事ってなかったのになあ。

受験勉強だってここでやってきた訳だし。

 

頭に浮かぶのは海外外こもり生活。

特別に楽しかったとかではないけど、思い返すとそれなりに良かった。

やっぱ気持ち的には楽でいいかなあ。

環境が嫌ならホテルを変えればいい。

住む地域を変えればいい。好きな場所に住めばいい。

そこで、仕事が出来れば最高。

 

親の介護、東南アジア諸国の物価高、自分の健康寿命…。

その辺考えるともう無理なのかな。

ハケンしながら、気楽に半月ほどの旅を年2~3回ほど楽しむのも実は悪くないのかな。

来年2月の一番寒い時期に南国行こうと思って航空券を見ると、燃料代高騰で航空券代もかなり上がっている。

定番のバンコクやシンガポールでも6~7万円。

んー。正直そこまで払って行く価値はないかな。

人生、上手くいかない。

【50代派遣】あっという間の5カ月。次の目標は年末

気づくともう10月。

仕事を始めて6か月目に突入。

ここまではあっという間の5カ月だった。

毎日8時に家を出て、夜7時に家に戻るの繰り返しで、特に変化のない毎日。

週末は土曜通院+食材買い出し、日曜食材買い出し。

そしてプチ介護。

こちらも変化も楽しさもないない毎日。

でもこれでいい。

 

去年、楽しさや出会い、変化を求めて久々に草野球を始めた。

20代後半に、同じような理由でやはり草野球を始めた。

その時は野球も人との交流も楽しかった。

今は同じことやっても全く楽しくない。ストレス発散にもならなかった。

仕事を始めて、土曜の草野球も一時退部。

無職状態でも行くのが面倒だったので、やめて良かった。

 

今の週末はちょっと苦痛。

土曜は通院と食材の買い物。日曜も食材の買い出し。そして食事作り。

最近は特にスーパーが混んでるような気がして精神的に疲れる。

スーパーに限らず、「何でこんなに人が多いのだろう」って至る所で思う。

 

今は土日休みの日より平日の方が全然気楽。

これは前回の倉庫派遣労働の時も感じていたらしい。

とはいえ前回も4か月目には既に人と会うのが嫌になってたみたい。

人間関係が悪かった事は全くなかったが、人と接するのが辛くなってたみたいだ。

今も似たような気持ちになる事があるので、いつまで持つか分からない。

正直今の環境で人間関係が辛かったら、もうどの職場でもやっていけない。

 

先日のメンタル面談後、10月末で契約終了の可能性が高まったと思っていた。

派遣元に「派遣先でメンタル不調で面談をした。」と報告すると、その話は来てないが既に契約は2カ月更新されていたという事だった。

2026年内にクビ、というか契約終了になる事はなくなった。

来年の年収0円になる事は避けれそうだ。(12月労働分は1月に支給)

こんな事でも嬉しい。底辺中の底辺だな。

 

メンタル面も復調してきた感じがあり、余裕で年末まで3カ月はやり切れそうな気がする。

あれ程メンタル面辛かったのに、あの辛さをあっさり忘れている自分のこのコントロールできない感情の起伏が怖い。

そう。嫌になる瞬間は急激にやってきて、発作的に辛さに耐えられなくて辞めてしまうんだよな、この人は。

でも今回は1段階目の辛さを乗り越える事が出来た。

この先未知数だがこれは大きいかもしれない。

 

年末まであと3カ月。何事も深く考えず、気楽にやっていこう。

再び精神的に辛くなる~派遣先でメンタル面談

辛くなって3週間。

頑張ろうと自分に言い聞かせ、持ち直したように見えたが、再び辛くなった。

もちろん相変わらずケアレスミスしてしまう自分が悪い。

いまやってる作業は次工程でミスが発覚して、全て自分のミスと分かる形。

何人かでやっていればミスも分かりずらいく、多少は精神的に楽なのだけど。

 

もう逃げ出したい気持ちでいっぱい。

自分の無能さを痛感。恥さらしをしているような感じでミスをする自分が許せない。

ミスが多い事を分かっていながら、気を付けてやっていても、突然違う事を考えていて、仕事をしている。

ADHDだろうとは何となく思っている。

 

もう「辞めたい」。

多分20代、30代で両親も健在ならもう決心して辞めていて海外逃亡していたと思う。

しかし今はもう逃げ場がない。

 

とりあえず翌日休む事も考えた。

でも今は1日休むのも同様に辛い。

どこで時間潰そう、って考えただけで嫌になる。

やっぱり平日は職場が一番いい。最高の時間潰し。

こんな感情も若い時はなかったな。平日休みってのは特別感あって嬉しくてしょうがなかった。

 

今のこの気持ち。すごく懐かしさを感じた。

前にこんな気持ちになったなあ。いつだろう?

そう。大学卒業して大阪の商社に就職した時だ。

別な精神的な辛さがあって同じような感じだった。

あの時は有給使って平日休んでメンタルヒーリング。

平日休む事で特別感を味わえていて、その逃げ道を楽しめていた。

とはいえ最終的に1年持たず、精神的に辛く退職。

 

あれから30年。ほんとメンタル面で何も変わってないんだな。

辛い事から逃亡する事も変わってない。

しかし、今はその逃亡先がない…。

 

精神的支柱だった「海外逃亡」。それも出来なくなりつつある。

いや両親が健在だったら、今でも即海外に行くかな。

実家無職生活に戻るのは本当に嫌で精神がいかれそう。

戻りたくない。

 

なんだかんだで朝が来ていつものように出勤。

バイクを止めて歩いてる時も色々葛藤があったが、気が付くと職場についてしまった。

もう逃げれない。

仕事上で皆が見れるLINEのようなものがある。

職場に到着して、そこにこう打った。

「ミスが多く精神的に辛いから、今の仕事を外してほしい」

 

派遣先なのでリスクは大きい。派遣先からするとそんな人間は必要ない。

こんな事したら契約満了で終了する可能性は高くなる。

でももう逃げ場はない。逃げる前に弱さをさらけ出してもいいかなって思った。

 

そしてさっそく面談機会を設けてくれた。

まず「話したことは上司の~さんと派遣元に情報共有するのでそれを前提でお話ししてください」って事を言われた。

考えてみると今の契約は10月末まで。更新なければそれでお終いだ。

派遣先としたら、無能+精神的に弱い人間を雇う意味ってない。

ここまでの教育費は無駄になったけど、見切りをつけるなら早い方がいい。

切り捨てるなら今の契約終了時がベスト。

 

リスクは大きかったけど、担当者と話して、少し楽になった。

担当者は多分1回り違う女性。もちろん年下。

優しく理解してくれてるように見えたけど、本音は分からない。

 

なんか小学校、中学校時代も女性の担任が多く、こんなシチュエーションが多かった気もする。

これも懐かしい感じがした。

しかし小学校の時も、50歳超えた今も、同じような何か問題を起こして面談される側である自分の成長しない姿に笑ってしまう。

 

面談してだいぶ楽になった。

とりあえず逃げずに仕事場に行ってよかった。

 

もう少し頑張ってみよう。

来月で契約終了かもしれないけど。

【50代無能】精神的に辛かった1週間。もう辞めたい…

今週1週間は精神的にきつかった。

現場関連の仕事、事務関連の仕事を半々でやっているのだが、どっちでもケアレスミスが頻発。

不安になり2度3度チェックしないと怖くなりスピードも遅くなる。

早くやらないと、と焦ってミスを引き起こす悪循環。

 

ミスしても後で自分で気づいて人知れず処理できるならいい。

でも後工程があったり、後々問題になったりする事がある。

それが辛い。辛すぎる。

 

今のような最高に恵まれている職場、そして優しい人しかいない職場。

ミスを指摘する人もいないし、厳しく追及してくる人もいない。

それでもここまで辛くなる。

自分が嫌になる。そして自分を責める。

 

もう辛いから辞めたい。

辞めたいと言っても、会社に行くのが嫌だ、職場に行くのが嫌だ、という訳では全くない。

辞めれば、ミスをする状況が必然的になくなり、精神的には楽になる。

 

全ての元凶は自分の無能さ。

もうそれは分かっている。

先天的な欠陥で、努力などでは変えられない事も今までの人生で証明済みで分かっている。

 

旅や一人で暮らしていれば、自分のミスによる責任は自分が負える。

だから仕事が続かず、海外に逃げていたような気がする。

今の状況だと仕事するのが一番良いし、時間や金銭面での満足感はあるし続けたい。

でも辛い。

仕事辞めても、その後はより辛い生活が待っている。

プチ介護生活には戻りたくない。海外無職生活も全くやりたくない。

 

これらの事を考えると、死んでしまった方が楽だよな、とか思ったりもする。

一番良いのは気づかぬ間に死んでいた、というパターン。

いきなり核弾頭が撃ち込まれるか、どこかの実験室でブラックホールが生み出されて一瞬にして地球が飲み込まれたらいいなあ、と漠然と考えたりする。

まあそれは無理だよな。

 

今の状況だともう逃げ場はない。

来週から気持ちを切り替えてやるしかない。

踏ん張ろう。踏ん張るしかない。

【50代無能】4年ぶりの日本の夏。来年の夏はどこで何をしているのだろう?

真夏真っ盛り。

職場避暑地化計画は順調に事が進んでいる。

職場は人口密度が低く、空間が広く、ちょっと寒いぐらいのエアコンが効いていて最高。

服装自由、短パンの人とかもいるし、仕事というか学校に行っている感じ。

 

ここ3年間の真夏は、避暑の為、日本を脱出していた。

去年の今はどこで何をしていたのだろう…。

調べてみると、バイク旅の途中でタイ・スコータイからパンマオに移動した時だった。

バイク旅の途中で、人のいない無料温泉リゾートで温泉に浸かって…快適だったな。

 瞬間的にあの場所に戻って週末だけ過ごしたい。

そう考えるという事は、それなりに楽しかったという事かもしれない。

人生の暇つぶしとして又いつかタイ北部バイク旅ゴールデントライアングル方面へ行くと思う。

 

2年前はハジャイ~パッタルンへの移動日。

こっちはそんな楽しかった感じがしない。

そこからパトンへ戻って籠り生活に入ったのかな。

もう2年も前の話なのか。

楽しい生活ではなかったけど、数年後の8月に再びパトン外こもり生活をしている気がする。

今度はレンタルバイクを1カ月借りての生活かな。

 

3年前は約半年間の浮浪旅の最後でダナン外こもり生活。

ダナンは外こもりの候補地なのだが、約3年も行ってないのは意外だ。

単に航空券代が安くなく候補に入らなかっただけなのだが。

かといって、積極的にあの地に戻りたいかというと全然ない。

でも近い将来、やっぱりあの地に戻って数か月生活するだろう。

 

この3年間の夏旅。どれも正直パッとしないし、楽しかった記憶がない。

こう考えると、今年の夏が一番充実…というか一番「楽」かもしれない。

「労働」「実家生活」「日本の夏」という3重苦だと思っていたことが、海外での無職生活より精神的に楽というのは意外だ。

実家を逃れ、エアコンの効いた自分の空間が確保された快適な場所で、暇つぶしの作業を与えられ、8時間過ごせるなら、日本の夏も悪くないという事か。

もちろんその行動をとる事により、お金が発生するというのが何よりも一番良い。

 

そんな訳で4年ぶりに真夏期の日本滞在。

実家で過ごす「夏休みの時期」となると、2009年以来17年ぶりかもしれない。

 

来年の夏はどこで過ごしているのだろう?

契約更新を繰り返し、雇用継続はされているのだろうか?

仮に仕事が続いていた場合、実家生活に耐えれているのだろうか?

精神的に追い込まれて、海外逃亡しているのだろうか?

 

自分でもまったく想像がつかない。

そのときの感情の赴くままに動くしかない。

お金も貯金もなく、無能で定職もないが、身体の自由はそれなりにある。

でもそれでいい。

自分でも予測できない未来を思うとワクワクしてしまう。

これじゃあ、まともな人間には一生なれそうにないし、一生底辺だ。

でもそれが自分であり、自分にふさわしい生き方なのだと思う。

【50代無能】契約更新&ヘルメット新調。心の満足感を求めて

いつの間にか3カ月の労働が終わった。
とはいえ肉体労働ではないので、苦行や過酷な労働という感じではない。
何も考えず淡々と過ごしていたら、気づけば3カ月が過ぎていたという感覚だ。
これは悪いことではない。

今でも、実家での無職生活はもちろん、海外で無職生活をする気にもなれない。

契約更新も無事完了。
前回は1カ月更新で、「能力を疑われているのではないか」という不安があったが、
今回は3カ月更新だった。
10月までこの生活を続けられて、貯金を増やせるのがうれしい。

2回目の給料日。今回は何かご馳走を買おうと思った。
前回、2025年の労働を終えたときは、ご褒美としてスーパーの900円ほどのモンブランを買った。

今回も何を買おうか考えたが、特に欲しいものがない。
節約生活が長すぎて、買い物の感覚がおかしくなっている。
スーパーに行っても貧乏性が抜けず、いつもより高いものを買う気になれない。
極端に言えば、ポテチが100円以上なら買えない気がするし、
肉類も100円/100gを超えると買うのにかなり悩む。

小学生の頃は、小遣いをもらったら近所のスーパーで定価のお菓子を普通に買っていた気がするので、
50代になった今のほうが、10歳の頃よりお金を使えていない気がする。

結局、今回はスーパーで350円ほどのモンブランを買った。
正直、味も贅沢度合いもこれで十分。
日本のスーパーのケーキは安くて美味しすぎる。

あとは安全靴を買った。普段から履いているものと同じものを購入。
少し傷んできて半年ほど前から買い替えを考えていたが、問題なく履けるので使い続けていた。
せっかく給与をもらったので、買い替えることにした。
新しい靴を履いて歩くとテンションが上がり、満足感が得られた。

そしてバイク用ヘルメットも新調することにした。
12年前に買ったSHOEIのヘルメットは見た目はきれいで使えてはいるが、
内部のウレタンは劣化しており、ヘルメットとしての機能はかなり低下している。
買い替えなくてもいいのだが、他に欲しいものもないので新調することにした。

SHOEIやAraiのヘルメットは、物価高が騒がれる前から驚くほど値上がりしていた。
体感では倍増。
以前買ったヘルメットは2.5万円ほどだったが、今は最低でも5万円以上する。
頭を守る重要なものとはいえ、5万円を出す気にはなれない。
16歳から使い続けてきたSHOEIだが、とうとう途切れた。

今回はOGK Kabutoにした。
数年前にOGKの自転車用ヘルメットを買っており、品質は確認済み。
メーカーとしてはグレードダウンだが、新品のヘルメットを着用するだけで気分が全然違う。
チークパッドはきつめで楽ではないが、それがまた心地よい。
シールドを開けるときの抵抗感や音も新品らしく心地よい。
ヘルメットを変えただけで新鮮な気持ちになり、走るのも少し楽しくなった。

靴とヘルメットを買っただけで、かなりの満足感が得られた。
日常的に使うものだと、その満足感を毎日感じられるのもいい。
この年になってようやく、物を買う楽しさに気づけた。

物欲がないからといって物を買わないと、この満足感は得られない。
給料日や仕事をする楽しみのために「物を買う」という行為は、
人生を豊かにするうえで必要なのではないかと思った。

人生ずっと、海外旅行へ行くための貯金 → 貯金がなくなるまで海外、
の繰り返しで、節約生活が日常化してしまっていた。
これからは抑えてきた部分を少し解放して、新たな楽しみを見つけてみようと思う。

女性が「買い物でストレス発散する」と言う意味がずっと分からなかったが、
最近ようやくその感覚が分かってきた気がする。

普通の人が10代・20代で当たり前にやっていることが、
自分にとっては今でも特別に感じられることが多い。
マックやKFCでの外食や、ちょっとした買い物。
この年になってようやく、それが“普通にできる環境”になりそうだ。

憐れと言えば憐れなのかもしれない。
でも視点を変えれば、ある意味とても幸せなことなのかもしれない。
普通の人が子供の頃から当たり前にやっていることが、自分には特別に感じられるのだから。

 

長い節約生活の先に、ようやく新しい楽しみが見えてきた。

こんな小さな喜びを積み重ねながら、実家労働生活を1カ月でも長く続けていきたいと思う。

そんな気持ち。いつまで持つかな…。

【50代無能】5年ぶりの大台突破へ。目標年収200万円

労働も2カ月完了した。

この調子で続けることができれば年収200万円が見えてくる。

「年収200万円」。私にとって大台だ。

200万円を達成できるかも、と考えただけでちょっとうれしい。

…ってどんだけ底辺なんだよ。

 

年収200万円を超える事が出来れば、2021年以来、5年ぶりの到達になる。

一般的な「低能・底辺」と言われる層でも年収300万円はある。

そんな中で、50代でこのレベル。あまりの低さに自分でも笑ってしまう。

むしろ、この低収入のまま海外逃亡生活をつづけながら生きていけていること自体、ある意味すごいのではないかと錯覚してしまう。

 

前回大台突破した2021年の時の年収は238万円。(手取りではない)

今更ながら正社員にも関わらず、異常な少なさに驚く。

10月の給与が0円で厚生年金などはしっかり控除されているので実質マイナス。

これは何だったのだろう。介護休職か何かかな。

よく見ると手取りが12万円って2021年内で4カ月位ある。

軽い追突事故にあって、通院しており、ほぼ毎日半日出勤だったのがこの年だったのか。

もうその頃はクビになってもいいと思っていたからどうでもいいと考えてたのかな。

毎日半日しか会社に行かず昼にはさっさと家に戻って医院に通ってた。

通院で半日=4時間必要かといわれると微妙だが、クビになってもいいので淡々とそれを押し通した。

 

しかし50代なのに、年収200万円超えるのが5年ぶりになるかも、ってよく考えると恐ろしい。

貧乏生活に耐性があって、物欲がなくてよかった。

一歩間違えたら、闇バイトや密輸などに手を出して、犯罪者になってたかもしれないなあ。

 

何はともあれ今年の目標は年収200万円。

それを達成するためには11月まで(給料日12月15日)仕事をしなければならない。

あと6カ月…。

そう考えると気が狂いそうなくらい長く感じる。

だからいつも自分に問いかける。

まずは目の前の事だけを考えていこう。

 

目の前の事と言えば、そういえば今の契約は7月末まで。

1/3が過ぎたのに更新の話がない。

クビになってもいいやと言いながらも、さすがにここで契約更新がなかったらショックだろうな。

年収200万円の前に、まずは8月に自分が働けているかどうか、そこが最初の関門だ。