48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2024海外旅】次の渡航先が決定。「インドネシア・ジャカルタ」

その後2~3つの派遣長期労働申し込むも全て落選。

今の仕事はストレスが多くなってきて週2日程度が限界、そして実家での両親とのプチ介護生活でもかなりストレスが溜まってきており、メンタル的に限界が近づいている。

仕事も得られない中、6月末か7月上旬まで日本で実家生活していく事は不可能と判断。

それまでに1度出国して東南アジアの風にあたって、メンタル疲労を回復する必要性があると考えた。

 

ZIPAIRのセール中だったので、料金を確認。

目に付いたのはバンコク行き片道約2.05万とシンガポール行き片道1.9万円。

十分安いので、そのどちらかにしようと思った。

ZIPはBKK便、SIN便を利用したが大型機だったので快適だったし、綺麗で良かった。

 

ほぼその2路線で気持ち的には確定していたが、一応、ZIP以外の航空券を確認。

「マレーシア航空」がかなり安い事が目に付いた。

こうなると、久々にLCCではないフルサービスの飛行機に乗りたかった。

飛行機に乗る事が苦痛になってるここ十数年の自分からすると、「飛行機に乗りたい」と思う事がかなり意外だった。

それに昔のイメージだとかなり評価の高い航空会社で、いつかマレーシア航空には乗りたいと思っていた。

又、大型機使用というのも乗りたいと思った大きな理由の1つだ。

 

インドネシアには何となく行きたいなと思っていたので、ジャカルタ行きを調べたら4.9万円。

もっと安い運賃の航空会社もあったけど、「大型機」「機内食付」「レガシーキャリア」という事を考えると、もうこれしか目につかなくなった。

インドネシアのビザ代約5千円を考えると、ZIPでBKKやSINにする方が全然安く、その分を滞在費にあてられる。

しかしそれ以上に「マレーシア航空」「ジャカルタ行き」の2点の方に魅力を感じた。

という訳であっさりジャカルタ行きに決定。

 

航空券を予約したことで、かなり肩の荷が降りた。

一応自由意思で海外に行ってる筈なのだが、何か早く航空券を買わないと、みたいなプレッシャーを毎日感じていて、それが精神的な負担になっていた。

「海外旅行へ行く事が決定した事」よりも、この精神的な負担から解放された事の方がうれしい。

【プチ介護】今日叔父が亡くなった

今朝、叔父が亡くなった。

血縁関係者の中で、一番話をした人だし、両親に代わって色んな適切なアドバイスをくれた人。

父親とはあまり喋ってないが、叔父とは色んな話をした。

その叔父が2か月前に心不全で入院。

そのまま帰らぬ人となった。

 

4年程前に、母の状況報告を兼ねて田舎に行った。

確かその時は毎日畑へ行って、健康そのもので忙しく充実した生活を送っているというような事を言っていた。

また母の事を一番気にかけていた。

しかし去年春に行った時に状況が変わっていた。

かなり前に畑仕事は辞めていた、という事だった。

足もかなり悪くなっており、何か覇気がなくなってる気はしていた。

それでも介護認定は受けていないし、介護が必要という状態ではなく母よりも全然ましであった。

 

母の足が悪化した4年前に両親、叔父叔母の中で最も健康だった叔父が、最も先に亡くなってしまった。

こんなもんなのかな。

 

母は兄(私からみると叔父)には10年位会ってない。

今考えると、何故自分が車で会いに連れて行ってあげなかったのだろう、と思う。

車で2~3時間とそこまで遠い訳ではない。

母が歩けない状態だからと自分にいい訳してたが、本当は車の運転が嫌だったのだと思う。

そんな事を優先させた自分に失望する。

特にこの2年はほぼ無職。いつでも行ける状態にあった筈。

それなのに1度も行ってあげなかった。

親孝行もできてないし、お世話になった叔父にも恩返しは何1つできなかった。

 

そして叔父が入院した後、自分一人でもお見舞いにいつでも行けた筈。

それなのに1度も行かなかった。

こうなる事が分かっていたら、間違えなく行っていた。

色々後悔しかない。

これから両親の介護生活に備えて、今後一番相談出来て、頼りになる人だと思っていたので、そういう面でも辛い。

 

考えてみると、毎日至る所で人は亡くなっている。

特に高齢者社会の日本ではそうだろう。

表面的には分からないが、ある意味、皆こういう苦しみを乗り越えて生きているのだろうなあ。

 

時間が経つにつれて、悲しく、寂しくなっていく。

なんか日本にいるとどんどん悲しくなっていく。

海外に行く時が来たのかもしれない。

やっぱり自分の心を癒してくれるのは、東南アジアしかない…かな。

【下級労働】単発倉庫下労働すら選考で落ちる哀れな男

倉庫下労働を始めて1カ月。

人間関係を考えると、やはり1カ月位が限界。

単純肉体労働という馬鹿でもできる仕事内容的にも、もういいかな、とも思ってる。

 

シフトは自由に入れるので、今の仕事を残しつつ、気分転換兼ねて他の倉庫をやっていっても良いかなと思った。

そちらが良ければ、徐々にそちらにシフトしていこうと。

そうすれば、あと1カ月程度は倉庫下労働も耐えられそうだ。

しかし半月経つが、1回も仕事に入れてない。

全て選考で落ちている。

海外旅は労働次第

当初は今年1月末にベトナム・ダナンから帰国して、父の白内障手術付添い。

1カ月程で状態が安定するだろう2月末~3月上旬には出国予定だった。

ただそこまで海外に行きたい気持ちも芽生えず、軽く派遣バイトしているうちに気候も穏やかになってきた。

今は花粉もだいぶ落ち着き、酷暑の東南アジアに行くより、日本に居た方がマシだと思えてきた。

 

7月あたりからの日本の不快な夏が来る前には海外逃亡したいので、6月まで労働してお金を稼ぐのも良いかと思った。

・・・しかし人生上手くいかない。

 

そういう訳で、長期の労働にも応募してみている。

長期の方が案件も多いので、すぐに受かるだろうと考えていた。

しかし4~5件程応募して、全て落ちた。

さすがに今の倉庫下労働を6月まで続ける気はない。

そんな中、日本+実家に滞在し続けるのも辛いので、GW明け頃出国せざるを得ないのかな、と考えている。

ZIPのセール終了前に「長期労働」が決まれば6月末まで日本滞在となる。

あと3日程しかないので、労働は無理なのかな…。

【メンタル】雨の日が心地よい

いつの日からだろう。

雨の日が好きになった。

雨は強いほど心地よい。

 

とはいえ、労働日や外出があるときはさすがに雨は嫌だ。

雨が好きなのは実家やアパートでの籠り日に限っての事。

雨は自分にとってはホワイトノイズで、不快な音を打ち消してくれる。

こんな事、人生において最近になるまで考えたこともなかった。

気が散らず、物事に集中できる。

 

普段は耳せんをしたり、イヤーカフをしたりしている。

聴覚過敏ではないと思うけど、話し声や人の気配を感じる音が耳に入ると不快。

基本、話し声や騒音があるわけではないのだけれど。

 

寝る時も最近はほぼ毎日耳栓をつけている。

夜中は昼間と違い、大声で話しながら通りを歩く輩が居て、目が覚めてしまう。

耳栓をつけるようになって、だいぶマシになった。

 

「雨の日が心地よい」

「日常生活でイヤーカフをつける。」

こんな事は若い時、というか10年頃前まではなかったと思う。

学生時代や20代の頃は、やっぱり「晴れた日」「夏」が好きだったと記憶している。

海外に出る一つの目的は、「夏」の気候が好きだから、というのが理由の一つだったと思う。

日本の寒い日に飛行機に乗り、第三国で降機してムワっとした熱気を感じる時が最高に心地良い。

 

四季のある国「オーストラリア」や「ニュージーランド」に行った時は、冬の雰囲気に耐えられず、冬を本格的に迎える前には、出国してしまった。

2回とも7月だったと記憶している。

やっぱり秋~冬になると、東南アジアのなま暖かさが恋しくなる。

両国とも、1年滞在予定だったが、結局、半年程度しか滞在し出来なかった。

 

「雨」といえば、前回ベトナム・ダナン生活前半ではほぼ毎日雨が降っていた。

考えてみると、あの時は雨が嫌だった。

やっぱり外出する必要がある時の雨は嫌だという事らしい。

雨の日が好きなのは、日本での籠り生活時の限定みたいだ。

【二輪】渋谷と恵比寿を走る。人の多さに気分悪くなる

久々に渋谷をスクーターで走ってみる事にした。

確か渋谷は、去年に10数年ぶりに自転車で行ってみて、それ以来の訪問。

週末という事で、宮下パーク辺りは朝10時頃でも既に人が多い。

何か他の町とは違い、道路を走っていても何か人の圧がすごい。

歩道が狭いせいなのか。人が多すぎるせいなのか。

人を見ていて、ふと皆何を目的にここに来てるのかと思う。

買い物?食事?そんな事をして楽しいのかな?

人ごみを歩いて何が良いのだろう?

確かに昔は自分もそういう時があった気がするが、その心理はあまり覚えてない。

旅も同様。全てにおいて何が楽しいのだろう?って思ってしまう。

何か感覚がおかしくなっている。

大学以来、渋谷の奥地に行く

渋谷の奥の方で「神山町」という場所に友人の家があった。

当時は聞きなれない場所で、更に駅(渋谷)から徒歩でかなり遠く、誰も知らない辺鄙な場所という意味で半分冗談で馬鹿にしていた。

今考えると、あんな場所に住んでるなんてすごい金持ちだったんだと思う。

 

高校時代、50ccのスクーターでその友人のマンションに良く行っていた。

自分が1年休学して海外から戻ると既に引っ越しており、それ以来連絡は途絶えてしまった。

多分その時以降30年、その辺には行ってなかった。

谷東急デパート(取り壊されて工事中だったが)の横当たりの細い道を入って、ちょっとした坂を登っていく。

なんとなくこんな道あったなあと覚えてるような、覚えていないような感じ。

近くに行けば何か思い出すかな、と思って走ってみたけど、道路がすっかり変わっていて、多分当時の面影はないので、マンションがどこだったかも全く覚えてなかった。

こんな感じだったと記憶には残っているイメージがあるが、多分その記憶も書き換えられたイメージで、実際は違ってたのかも。

なつかしさを感じれる風景は見つからなかった。

 

渋谷のあと、代官山を通り恵比寿方面へ抜けた。

恵比寿駅周辺なんか地味な場所で、子供の頃はそんな人がいなかった。

特に週末はほとんど人はいなかった。

いつの間にかとんでもなく人が増えていて、更には週末でも人がわんさか。

ガーデンプレイスが出来てから、すっかり様変わりした気がする。

異常な築地の混雑

築地の方をたまに走るが、平日でも道路に溢れんばかりの人が居る。

いつ見ても人がぎっしり。

先日は築地横をバイクで抜けたが、道路は人でびっしり。

歩行者天国だったか?と一瞬思った。

しょうがないので、その中に突っ込んでいった。

暴徒に囲まれるとあんな感じなのだろう。車でも怖いと思う。

途中から、警備員が「車、通ります!」と何度も叫びながら道を確保してくれた。

 

市場が築地から豊洲に移転する話があった時、反対意見が多かった。

確か客が豊洲の方に行ってしまい、結果築地側には観光客が来なくなり、商売が成り立たなくなるからとかそんな感じだった。

現状見るとむしろ逆。

移転前より人は増えているし、多分築地の歴史史上一番人が集まってると思う。

築地の場合、海外からの観光客の割合も高い。

 

日本全体の人口が増えたという事もないだろうし、やはり東京(首都圏)一極集中になっているんだろうな。

結局多くの人は「街」「都会」が好きなのかもしれない。

仕事の為、っていうのもあるか。

何にしろ東京、大阪、福岡とか都市部に生まれ育った人達にとったら、迷惑な話でしかない。

これも含めて都市部の人間にとって、故郷の都市は生きづらくなっていく。

周りの環境がどんどん自分を追い詰めていく。

結局自分が出ていくしかないのだろうなあ。

【旅】11カ月前のインドATMキャッシング。未だ請求来ず

去年5月14日に南インドのトリバンドラムにてJCBカードを使ってATMでお金をおろした。

クレカでのキャッシングは数日後~遅くとも1週間後には請求が来る。

しかしトリバンドラムでのキャッシングに関しては、あれから11カ月経過するのに未だに請求は来ていない。

jack-k.hatenablog.jp

ATMを利用して約1週間後に、気になってJCBヘルプデスクに電話した。

確認できたことは、以下の通り。

・トリバンドラムのATMにて、JCBカードを使って操作が行われたという事。

・出金があったかどうかは確認できないという事

・請求がない限り、こちらから先方の銀行に確認する事はできないという事

・仮に数か月後に請求があった場合、MAXでの利子はATM出金翌月締め日までの分。(40数日分)

それからずっと気になってもやもやしている。

キャッシングはしなかったのか?

ここまで経って請求が来ない事をみると、「もしかしてそもそも出金しなかったのでは?」という疑問が芽生えてくる。

記憶を辿ってみる。

あの日の事は今でもはっきり覚えている。

場所はトリバンドラム駅の入口左横のATM。

海外のATMでは≪明細必要≫を押しても、明細が出てこない事もままある。

この時は嫌な予感があって「明細出てきそうもないなあ。」と思いながらATM操作した。

現金が出てきた時の記憶はないけど、出金したであろう直後に、明細が出てこず、「やっぱり明細書が出てこなかった。」と思った事ははっきり覚えている。

もちろん出金金額、出金日は日記に控えているし、絶対キャッシングはしたと思うのだが。

もしかしたら請求が来ていて、実は入金も既にしていた事もあるかな、とも思って今ネット銀行の振込記録を確認したがこの日の分は確認できなかった。

インドの銀行。これで大丈夫なのか?

Rs.6200なので10,292円の支払い予定だった。

この支払いを逃れてラッキーと思うかというと、それは全くない。

正直、気になって気になってしょうがないし、この11カ月の心労を考えると1万円程度もらっても割に合わない。

 

今回は一応はこちらにメリットがあった事なので良かったが、逆に請求額が多かったりとなった場合はどうなってしまうのだろう。

海外とはいえ、さすがにお金を扱うプロの銀行だから大丈夫だろう、と思っていたが、今回の一件から、それは幻想だと分かった。

やっぱり海外だと銀行、ATMですら信用ならない、のかな。

 

今後も請求が来るかどうか曖昧なすっきりしない状況が続いていき、なんか納得いかない。

【プチ介護】待ち受ける親の介護と自分の老化

バイク見る度に思い出す

このバイクを買ったのは約4年前。

その時は親の老化はもとより、自分の老化も考えたことは全くなかった。

当然介護云々に関しては、まったく考えてなかった。

 

バイクを買った時、母親が階下に見に来た。

別にいいバイクでもないし見に来なくてもいいのにと、少しうっとおしかった。

それまでは親との関係はそんな感じ。

当たり前かもしれないが、それまで母親は和室で座椅子で生活していて、立ち上がりも問題なかった。

階段の上り下りも問題なかった。

今考えると、当たり前の事が当たり前にできてるあの時はすごくよかったんだと思う。

無理だけど、両親があの時の状態に戻れれば、いろんな面ですごく楽。

 

そしてこの4年で環境が激変した。

確かそのバイクを買った数か月後に脊柱管狭窄症の手術をして、リハビリ病院に入院。

そこまでは自分は一切何もしてなかったし、心配もしてなかった。

その時に父親からメールが来て、励ましてやってくれ、みたいな事が書かれていた。

そんな事は生きていて1度もなかったので、何か違和感と不安を感じて、リハビリ病院にお見舞いに行った。

 

リハビリ病院には3カ月位居たが、多分つまらなく、何もやる気が無くなってしまったみたいだ。

筋力がなくなり、寝る癖がついて色々変わってしまった。

逆にリハビリ病院に行ったことが良くなかったのではないかと、今では思っている。

今は料理も洗濯、掃除も出来ない。

読書なども一切しない。

このままだとどうしようもないので、脳トレだったり、階段を歩くよう促すが全くしない。

歯磨きすら面倒になってしまったようで、言っても行かない。

何もやらないんだから、もう全て悪化していくしかない。

言ってもやらなく、言ってる方が疲れてしまう。

本人がやる気をなくしてしまったら、何も出来ない。

 

「あなたの為に言ってるんだから。」と言いたいが、それは言わない事にしている。

多分、自分も学生時代はそんな感じだったろうし、それに老化現象で本当に何もかも面倒になってるのかもしれないし。

辛いのは悪化した人の面倒を見るのが自分、という事が確定している事だ。

せめて、なるべく健康状態がましな状況で介護生活に入りたい。

結果が分かっていながら、防げない。

 

なんだかんだ言っている間に、自分の老化も心配になっていく。

60歳以降の定年後になって海外移住する人なども記事で良く目にするが、自分は60才になってその気力があるだろうか。

健康は保たれているのだろうか。

兄弟が何人もいたり、長男でなければ、多分もっと気楽に「今」を生きれていたのかなあ。

そういう状況だったら、少なくとも、海外でアパートを借りて気楽に生きていたと思う。

 

近い未来に待ち受けている介護生活。

辛いな…。