48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2024ダナン新年プチ移住】「当たり前。」の事が辛く、出来ない自分

今日は歩いて金融街っぽい場所へ。

こんな所がダナンにあったのかと、驚く。

オーストラリアのパースを思い出すよう、綺麗な町並みと匂い。

 

ここへ来た目的はダナン博物館。

ベトナム戦争関連の展示品を見に来た。

ベトナムの大地を燃やし尽くしたナパーム弾の展示も。

こういうのを見て、ようやく自分が今ベトナムに来てることを実感。

正直、ダナンに住んでいても全く特色がなく、相変わらず自分が今どこの国に来ているのかよく分からない。

「当たり前」の事が辛く感じる

ダナンに来て1ヶ月。

当たり前なんだけど、前回訪れた場所に行くと、前にいた人達が働いている。

当たり前だけど、自分が去年9月に日本へ帰国して、親を病院へ連れて行ったり、暇つぶしで自転車乗ったり、図書館いったり、派遣している間も、ずっと毎日この仕事をやっている。

そんな事あたりまえ、なのだろうけど、「すごいな。」って思ってしまう。

HOTELの受付

朝、HOTELを出るときには馴染みの受付の子が座っていて、夕方帰ってきた時にも受付に座ってる。

毎回帰る度に「朝からずっとここに居たのだろうか。」

別に当たり前の事だろうけど。

「毎日ずっと同じことでつまらなくないのだろうか。」「何のプラスになるのだろうか?」などと余計なことを考えてしまい、苦しい気持ちになる。

HOTELの清掃係のおねえさん

朝からずっと掃除してるのだろうか?

この階に来て、端っこから掃除作業の繰り返しやっている。

1つの部屋でやることを一緒。

それを永遠と3階〜12階まで毎日…。明日も明後日も。

考えただけで辛い。

「同じことの繰り返しで辛くないだろうか。」

カフェで働く人

前回、2023年8〜9月ごろよく行ってたカフェに久しぶりに行った。

顔を見るなりすぐに「いつもの」注文を理解してくれた。

すごいなあ、と思う。毎日何十人来てて、更に3ヶ月ぶりの訪問でも覚えてるとは。

このお姉さんも、基本毎日コーヒーの注文取り、コーヒー淹れ、掃除などをしている。

おそらくもう既に何年も。そして来年も、再来年も…。

考えると気が滅入る。

この人は気が滅入ってしまわないのだろうか?

宝くじ売りのおばあちゃん

そのカフェに腰が90度曲がったおばあちゃんが宝くじを売りに来る。

初めて見たのは前回来た8月。

そのカフェに居るとほぼ高い確率で宝くじを売りに来てたので、多分毎日売り歩いている。

今回そのカフェはほとんど行ってないが、その周辺でよく見かける。

このおばあちゃん、寒い日も雨の日も、暑い日も売り歩いてる。

親と姿が重なり、その年でも労働している環境を考えると、悲しくなる。

まあ本人は単に健康の散歩代わりで、宝くじが売れようが売れまいが全く関係なく、暇つぶし兼ねてやってるだけかもしれないんだけど。

馴染の食堂

何件かあるけど、前回含め、当たり前だけど行けば馴染の人たちが働いている。

去年の8、9月も12月も今月も。

そして今日も行けば当然居る。

「ずっと毎日これをやってるのだろうか。」

「そしてこれからもずっとやっていくのだろうか?」

気が滅入る。

 

正直、働く理由なんて人それぞれ、

ただ単にお金がほしいから働いている。

仕事内容が楽だからそれでよい。

単純な仕事でも、働いてる人は幸せなのかもしれない

 

ただ勝手に「単純な仕事=辛いだけで意味がない=可哀想な人間」って色々想像して、考えただけで辛いなあと思ってしまう自分って何だろう。

もちろん自分もその下級労働者の一員なのだけど。

 

そんな単純下級労働、続くことを考えただけで辛すぎて、もう精神的に出来ない今の自分。

人として一番駄目なのではないかと思う。

何かが欠陥してる。

そして近づきつつある帰国作業。

労働ではないけど、空港行ったり飛行機乗るのも考えただけで嫌すぎる。

こんな事言ってたら、もう何も出来ない。

この先の人生、大丈夫だろうか。