今日は歩いて金融街っぽい場所へ。
こんな所がダナンにあったのかと、驚く。
オーストラリアのパースを思い出すよう、綺麗な町並みと匂い。
ここへ来た目的はダナン博物館。
ベトナム戦争関連の展示品を見に来た。
ベトナムの大地を燃やし尽くしたナパーム弾の展示も。
こういうのを見て、ようやく自分が今ベトナムに来てることを実感。
正直、ダナンに住んでいても全く特色がなく、相変わらず自分が今どこの国に来ているのかよく分からない。
「当たり前」の事が辛く感じる
ダナンに来て1ヶ月。
当たり前なんだけど、前回訪れた場所に行くと、前にいた人達が働いている。
当たり前だけど、自分が去年9月に日本へ帰国して、親を病院へ連れて行ったり、暇つぶしで自転車乗ったり、図書館いったり、派遣している間も、ずっと毎日この仕事をやっている。
そんな事あたりまえ、なのだろうけど、「すごいな。」って思ってしまう。
HOTELの受付
朝、HOTELを出るときには馴染みの受付の子が座っていて、夕方帰ってきた時にも受付に座ってる。
毎回帰る度に「朝からずっとここに居たのだろうか。」
別に当たり前の事だろうけど。
「毎日ずっと同じことでつまらなくないのだろうか。」「何のプラスになるのだろうか?」などと余計なことを考えてしまい、苦しい気持ちになる。
HOTELの清掃係のおねえさん
朝からずっと掃除してるのだろうか?
この階に来て、端っこから掃除作業の繰り返しやっている。
1つの部屋でやることを一緒。
それを永遠と3階〜12階まで毎日…。明日も明後日も。
考えただけで辛い。
「同じことの繰り返しで辛くないだろうか。」
カフェで働く人
前回、2023年8〜9月ごろよく行ってたカフェに久しぶりに行った。
顔を見るなりすぐに「いつもの」注文を理解してくれた。
すごいなあ、と思う。毎日何十人来てて、更に3ヶ月ぶりの訪問でも覚えてるとは。
このお姉さんも、基本毎日コーヒーの注文取り、コーヒー淹れ、掃除などをしている。
おそらくもう既に何年も。そして来年も、再来年も…。
考えると気が滅入る。
この人は気が滅入ってしまわないのだろうか?
宝くじ売りのおばあちゃん
そのカフェに腰が90度曲がったおばあちゃんが宝くじを売りに来る。
初めて見たのは前回来た8月。
そのカフェに居るとほぼ高い確率で宝くじを売りに来てたので、多分毎日売り歩いている。
今回そのカフェはほとんど行ってないが、その周辺でよく見かける。
このおばあちゃん、寒い日も雨の日も、暑い日も売り歩いてる。
親と姿が重なり、その年でも労働している環境を考えると、悲しくなる。
まあ本人は単に健康の散歩代わりで、宝くじが売れようが売れまいが全く関係なく、暇つぶし兼ねてやってるだけかもしれないんだけど。
馴染の食堂
何件かあるけど、前回含め、当たり前だけど行けば馴染の人たちが働いている。
去年の8、9月も12月も今月も。
そして今日も行けば当然居る。
「ずっと毎日これをやってるのだろうか。」
「そしてこれからもずっとやっていくのだろうか?」
気が滅入る。
正直、働く理由なんて人それぞれ、
ただ単にお金がほしいから働いている。
仕事内容が楽だからそれでよい。
単純な仕事でも、働いてる人は幸せなのかもしれない
ただ勝手に「単純な仕事=辛いだけで意味がない=可哀想な人間」って色々想像して、考えただけで辛いなあと思ってしまう自分って何だろう。
もちろん自分もその下級労働者の一員なのだけど。
そんな単純下級労働、続くことを考えただけで辛すぎて、もう精神的に出来ない今の自分。
人として一番駄目なのではないかと思う。
何かが欠陥してる。
そして近づきつつある帰国作業。
労働ではないけど、空港行ったり飛行機乗るのも考えただけで嫌すぎる。
こんな事言ってたら、もう何も出来ない。
この先の人生、大丈夫だろうか。