48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【プチ介護】納棺、通夜、告別式を終えた

ほぼ3連荘で、田舎に行ってきた。

ここ10年で3回程度しか行ってなかったのに、この4日間で3回も行った。

高速使って1時間半~2時間程度。

こんな近かったのだと改めて思った。

 

多分自分が車を運転して高速使うのは、ほぼ初めての気がする。

何か高速道路の道とか、料金所を考えると、乗るのがずっと嫌だった。

そもそも車の運転も嫌いだし、道を譲ってもらったりだの、他人にすごく気を遣うのが嫌だ。

でも実際に高速道路を使ってみると全然楽で、こんな事なら毎年親を田舎に連れて行ってあげてればよかった。

特に叔父が入院してからのこの2か月、叔父の生きている間に何で母親を会わせてあげる事ができなかったのだろう、と今も悔やんでる。

 

3回親戚に会って食事会が合間、合間にあったが、その時間が辛かった。

自分のテーブルだけ、静かで沈黙している感じ。

元々、家族でそんな話はしない。

そもそも父があまり他人に興味がないのだと思う。

 

家族の相談含め、色々話せた叔父が亡くなってしまった。

田舎の親戚と、うちとの懸け橋だった叔父。

食事会で思ったのは、叔父が亡くなったから、もうこの親戚ともこの先付き合いがなくなるだろうな、という事。

やっぱり大きな存在だったのだと痛感した。

叔父が最後まで残ってくれていれば、この先自分が精神的にかなり楽だったろうなあ。

親の介護に関しては、もう自分一人で問題を抱え込むしかなくなった。

 

姉にも告別式の時に送り迎えして、久々に会った。多分結婚して長男が生まれた後は、20年位で2~3回しか会ってない。

仲が悪いという訳ではない。

今回、待ち合わせ場所の駅のロータリーで見かけた時、体型とかが自分のイメージとは違うから、「あれは、違うでしょ。」と親に言った。

それでも父親が呼びにいってしまい、間違った人に声かけに行った、と思ったが、それが姉だった。

父と姉が車に向かってる時でさえ、顔や歩き方をみて「違う人じゃないの?」ってずっと思っていた。

顔もそうだが、声、話し方など、何かすっかり変わってしまってるようだったが、もしかしたら自分のイメージは作られたもので、姉は昔からそうだったのかもしれない。

今回、思ったのは、自分も姉も父親も、良い意味であまり人に興味がないという事。

考えてみると、幼少期からそうだった。

学校がどうとか、友達がどうとか全く話さなかった。聞かれもしなかったし。

この自分が徹底的に興味がないものには無関心というのは、遺伝だったのだと今回認識した。

多分、両親がいなくなったら、もう姉とは2度と会わない気がする。

 

正直、納棺、通夜、告別式で亡くなった叔父の事をゆっくりと弔う余裕はなかった。

叔父の妹である、私の母親が満足出来ればそれで良いかな。

 

何も心配せずに生きれていた20年前。

あの頃に戻りたい。

親戚含めて皆健康で何も将来の心配もしていなく、自分も自由気ままに生きていた。

親の介護、自分の老化、身近な人の死など、4年前まで本当に全く考えていなかったもんな…。

今も同じ自由の身の筈だけど、「老化」「介護」で全く自由を感じれず、精神的にはどんどんキツくなっていく。

 

特に、この先の自分の人生で一番重要な人が、一番最初に亡くなってしまった事は本当に厳しい。

今後の自分の人生を考えると、ほんと辛い…。