バイク見る度に思い出す
このバイクを買ったのは約4年前。
その時は親の老化はもとより、自分の老化も考えたことは全くなかった。
当然介護云々に関しては、まったく考えてなかった。
バイクを買った時、母親が階下に見に来た。
別にいいバイクでもないし見に来なくてもいいのにと、少しうっとおしかった。
それまでは親との関係はそんな感じ。
当たり前かもしれないが、それまで母親は和室で座椅子で生活していて、立ち上がりも問題なかった。
階段の上り下りも問題なかった。
今考えると、当たり前の事が当たり前にできてるあの時はすごくよかったんだと思う。
無理だけど、両親があの時の状態に戻れれば、いろんな面ですごく楽。
そしてこの4年で環境が激変した。
確かそのバイクを買った数か月後に脊柱管狭窄症の手術をして、リハビリ病院に入院。
そこまでは自分は一切何もしてなかったし、心配もしてなかった。
その時に父親からメールが来て、励ましてやってくれ、みたいな事が書かれていた。
そんな事は生きていて1度もなかったので、何か違和感と不安を感じて、リハビリ病院にお見舞いに行った。
リハビリ病院には3カ月位居たが、多分つまらなく、何もやる気が無くなってしまったみたいだ。
筋力がなくなり、寝る癖がついて色々変わってしまった。
逆にリハビリ病院に行ったことが良くなかったのではないかと、今では思っている。
今は料理も洗濯、掃除も出来ない。
読書なども一切しない。
このままだとどうしようもないので、脳トレだったり、階段を歩くよう促すが全くしない。
歯磨きすら面倒になってしまったようで、言っても行かない。
何もやらないんだから、もう全て悪化していくしかない。
言ってもやらなく、言ってる方が疲れてしまう。
本人がやる気をなくしてしまったら、何も出来ない。
「あなたの為に言ってるんだから。」と言いたいが、それは言わない事にしている。
多分、自分も学生時代はそんな感じだったろうし、それに老化現象で本当に何もかも面倒になってるのかもしれないし。
辛いのは悪化した人の面倒を見るのが自分、という事が確定している事だ。
せめて、なるべく健康状態がましな状況で介護生活に入りたい。
結果が分かっていながら、防げない。
なんだかんだ言っている間に、自分の老化も心配になっていく。
60歳以降の定年後になって海外移住する人なども記事で良く目にするが、自分は60才になってその気力があるだろうか。
健康は保たれているのだろうか。
兄弟が何人もいたり、長男でなければ、多分もっと気楽に「今」を生きれていたのかなあ。
そういう状況だったら、少なくとも、海外でアパートを借りて気楽に生きていたと思う。
近い未来に待ち受けている介護生活。
辛いな…。