やっぱり思い出すものがなかった
初めてインドに降り立った地がトリバンドラム。
今回その地に再訪、何か懐かしい、と感じることを体感したかった。
坂っぽいところの途中に泊まった記憶がある。
翌日、祭日で銀行が開いてなく、所持金が日本円換算で300円程しかなかった。
YMCAが近くにあって聞くと1泊150円程度。カレー50円程度で食べられ、300円で1日過ごせるなんて、インドの物価はホントに安いなと実感した。
今回偶然そのYMCAを発見したが、そこに泊まったかどうかは定かでない。
建物は古いので、30年前からあったと思えなくもないが。
カラスのイメージは正しかった
以前、30年前のトリバンドラム空港内でカラスが飛んでて、間抜けな雰囲気だなと感じたことを書いた。
今回トリバンドラムの町を歩きカラスが異常に多いと感じた。
本当に至る所に居る。さすがに余り気分のいいものじゃない。
やっぱ当時からカラスは多かったのだろう。
記憶になければ行ってないのと一緒?
カニャークマリも鉄道駅から町まで、全く記憶なし。
あんな観光地だったとは驚きだった。更に象徴的な島の像とか寺院があるが、見た記憶は全くない。
これだけのものだから、来たら絶対見ていてるとは思うのだが。
「あ、そういえばこんなところに来たな。なんとなく覚えてる。」とかそういう体験がしたかったが、やっぱ無理だった。
そうなると、あの時の旅は何だったんだろう?
記録ではあるけど、記憶にない。
記憶にないなら、行ってないのと一緒なのでは、とふと思った。
あの旅は意味があったのだろうか?
旅は楽しいものなのか?
今回カニャークマリに来たのは、再訪したかったとかでなく、単に30年前はそこから西岸に沿って北上したから、今回は東側から北上しようと思っただけ。
昔は陸路で旅して、地図上に旅したルートをマーキングしていく事が楽しかった。
ここ十数年は冷めた気持ちで、だから何なの、と思ってしまう。
でも今回はあえてそれをやってみてもいいかと思ってる。
もしかしたら楽しさが蘇るかもしれない。
ただそんなの苦痛だしやる意味はないと思ってる自分もいる。
旅って1日をどれだけ安く過ごせるかや、苦痛を乗り越える事で達成感を得てた、下らない遊戯だったのか、という気もする。
旅の場所にもよるが、インド、パキ、バングラやサハラ以南のアフリカとかは特にそうだったのかな。
写真をとっておけば良かった
若い頃は記憶が薄れるなどとは思ってもなかった。
写真なんてただの静止画。やっぱその場の雰囲気、音、空気があってこそのもの。
だから写真なんて意味がないと思ってた。
その雰囲気とともに記憶に残しておく事が大切と思ってた。
しかし今、後悔してる。
写真があれば、何か思い出せるものもあっただろうし、数年後再訪した時に、比較できる。
蘇ってくる記憶もあると思う。
旅の記憶がないと、悲しい。