48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【タイに住んでみた①】1998年バンコク・戦勝記念塔編

1998年、私は会社を辞めて、タイ・バンコクへ向かった。

学生時代、旅行をしながら「いつか海外に住んでみたい。」と思っていた。

学生時代最後の旅行が2か月程のオーストラリア・パースだった事を考えると、その時はまだ英語圏や白人文化圏に興味があったのだと思う。

社会人になって、1998年新年はパタヤで迎えた。恐らく、人生初めて海外で迎えた時だと思う…と記録を確認してみると、1994年にモロッコサハラ砂漠のテントで新年を迎えてた。

仕事をしながらも、常にタイやパタヤの心地よさが頭から離れなかった。そして年末にタイ・パタヤ旅行をして、住みたいという気持ちが一層強くなった。

それが理由で会社を辞めたわけではないが、失業給付までの待期期間が3カ月ほどあるから、その間タイで一人暮らしをしてみようと思った。

アパートをどう探したか

当時はインターネットは普及していなく、Wifiどころかインターネットカフェもなかった時代。確か何かの本を参考にしたと思う。

戦勝記念塔の近くにアパートが点在しているという事で、直接そこへ行ってみる事にした。実は今では結構メジャーな日本人滞在場所みたいだ。本にのってたから、その当時から日本人が多かったのかもしれない。

適当にブラブラしてアパートらしきものを探してみた。

新築のアパートがあり、「これがいい。」と思ってあっさりとそこに決めた。何軒か回って、比較して決めたわけではないと思う。

家賃は1カ月5500B

当時のレートは1B=3円なので1カ月約16500円。

部屋は一般的なワンルームだが、やや広めだったと記憶してる。12畳かそれ以上あったのではないかと思ってる。

デポジットは家賃1カ月分で、最低契約は6カ月程度だったと記憶してる。最終的に2か月で出る事になるが、デポジットは戻ってきたと思う。

家具なども新品なので気分もよかった。ただベッドに汚れ防止用の分厚いビニールがついてて、その上で寝ると蒸し暑さが増してよく寝れなかった。

南国の特性を一切考えてなく、日本の感覚でなるべく太陽光が当たる場所を選んだ。当然失敗で、昼間はかなり暑かった。

人生初のアパート契約がタイだった

考えてみると、人生初のアパート契約。社会人の時にもアパートに住んでたが、それは会社が借りてくれてたもので、自分で手続きは一切してない。

当時は異国という事で、それなりに大きな挑戦だと思ってたが、今思うと日本より簡単な事。

日本だと「保証人」やら「火災保険」云々で色々面倒すぎる。

戦勝記念塔エリア

当時はMRTも通ってなく、まだ工事もしてなかった。スカイウォーク的なものもなく、歩道橋が多少あるだけで、今よりもだいぶすっきりしていた。

GoogleMapを見ると近くに大きな公園もあるみたいだが、当時は地図もなく、全く知らなかった。おいしい料理屋も多くあるエリアみたいなので、住むには良い場所みたいだ。今住めば、当時以上に楽しく過ごせるのではないかと思うし、人気エリアみたいだ。

ただ当時行った飯屋の記憶は1つもないし、そもそもどこで何を食べてたのかすらも覚えてない。周りも散歩してないし、それこそアパート前の通りから戦勝記念塔までの道と小さいRobinsonデパート(多分),そのデパートから通り対面へ渡る歩道橋くらいしか覚えてない。

何をして過ごしていたか

その頃はまだ英語に興味がありECCに週2回ほど行ってた。ECCは戦勝記念塔近くにあった。一番のタイ渡航の目的がこれだった気がする。英語を勉強するのにわざわざ英語圏に行く必要はなく、物価の安い所で学ぶのが実は一番良いのではないか、と考えたからだ。

あとはタイ語も少し勉強した。それまで4年間、旅行でタイに寄る事はあったが、「ありがとう。」らタイ語で言えなかったと思う。全く覚える気も興味はなかった。

タイ語を話すこと(会話レベルでなく屋台の注文と数字が言えるレベル)によって、人がよりフレンドリーになってタイに対する印象が良くなったと記憶してる。

タイ語はトンローにある有名なタイ語学校でマンツーマンで勉強した...というか試しに通ってみた程度。

白い車体に黄色青色のラインに入った「38番」バスで通っていた。他のバスが2.5,3.5Bの中、5Bという金額だった。

いまだにこのバスを見るとう何故かうれしい気持ちになったり、「あ、きた。」って思ってしまう。もう25年前、更に僅か2か月程度のルーティーンの事なのに。

 

最終的に、姉の結婚式出席の為、日本経由でハワイに行った。帰りに日本で3週間程滞在してから、バンコクに戻ってアパート解約して約1週間で日本に戻ってきた。

ちなみにその時はバンコク発券が最盛期で「ハワイ行日本航空往復航空券」もバンコクで購入。

日本での往復ストップオーバー込みで「24308B」だった。当時は日本経由のLA等米国東海岸行も激安だった。物価も含め、もう米国、ハワイ、グアムには一生行かない、というか行けないのだろうか。

初めてタイに住んだ時と今では色んなものが変わってしまった。といっても、昔が良かった、と言う訳でもないし、今のバンコクに魅力がないわけではない。

ビザの問題がなければ、世界一気楽に安い一人暮らしをスタートできる街ではある。

正直、今はバンコクに住みたいという強い気持ちはないが、諸条件考えると、近い将来に住む可能性が高いのではないかと思っている。今年の可能性もある。