48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【シンガポールに住んでみた①】2002年BukitPanjang編

2002年、ワーホリでNZへ行ってたが、1年滞在予定を半年程度で切り上げアジアに行く事に。

NZもAUSも悪くはないんだけど、1年は滞在できない。良くも悪くも日本に居るのと変わらないというのか、何か物足りなさがある。

NZに居ても常にアジアに行きたい気持ちがあって、Aucklandの「Food Alley」というアジアを感じれる寂れたフードコードを訪れ、アジアに行きたい気持ちを解消していた。

何故、シンガポールだったのか

良く覚えてないが、アジアで就職しようと思ったんだと思う。NZ行く前からそう考えてたかどうかも覚えてない。

バンコクで購入したのがシンガポール航空オークランド行・往復航空券で、ストップオーバーできる事からシンガポールで降りた。

又、アジアで就職(の履歴を残す)するなら、イメージの良いシンガポールが良いと考えた。本当はタイが良かったのだが、一般的な日本人のタイに対するイメージがあまり良くない事からタイは避けた。悔しいけど、今もタイ=「売春婦」「女目当ての男」ってイメージが残ってると思う。特に40代以上の人はそう考える傾向が多い。すごく嫌だ。

フラットをどう探したか

その当時は、インターネットもあったが、まだ家庭内やホテルにWifiが普及してなかった。インターネット屋というのが町中にあった。確か「Bugis」辺りに安いネット屋があって通ってた記憶がある。

ネットでも情報を探したがあまりなく、最初のフラットは新聞広告で見つけたと記憶している。Straits Timesの土曜か日曜版にそういう情報の別紙がついてたような気がする。

場所は「Bukit Panjang」

その当時は何も考えてなかったが、よくそんな所に住んだと思う。そもそもシンガポールの地理自体もよく分からず、国土も小さいから、「どこに住んでも変わらないだろう。」的に考えてたのかもしれない。

地図で言うと左の端の方。不便でしょうがない。LRTが走っていて、最初は未来都市みたいで良いな、と思っていたが、昔の日本で例えると「多摩ニュータウン

家賃は1カ月S$360

当時のレートはS$1=約71円で「25,560円」。HDBという公営団地の中の1室、中は綺麗で良かった。

インド系1家が住んでる所の1部屋を間借りした。確か鍵はもらってなく、ノックして部屋を開けてもらう感じだったと思う。

今はもう他人と住むのは気を使うし、絶対、嫌だ。

猫の写真もあるから、猫も居たらしい。全然記憶にない。

滞在期間は2か月半程。何をやっていたか?

これ又、あまり記憶がない。記録によると…

・日系就職斡旋業者に登録に行った

Toeicテストを受けた(らしい)

・「Tanjong Pagar」辺りで中国語を習ってた

・公営スポーツジムに通ってた

・多分、結構な頻度で「Bugis」のインターネットカフェに行き、情報を集めていた

・オーチャードロードにあるショッピングセンターに行ったり、両替の為「Far East Shopping Centre」へも頻繁に行ってた

今考えると、インターネットの為、わざわざ街に出るってのもすごい。

この頃はオーチャードロードは良く行ってた。特に「Far East Shopping Centre」の印象が強く残ってる。

もうここ15年はシンガポールに行っても、その辺は行ってない。

あと記憶に強く残ってるのは、公営のスポーツジムだろうか。地域に1つコミュニティーセンターがあって、その中にスポーツジムがあって、安く利用できた。

「Bukit Panjang」に住むメリット

唯一良かったと思ったのは、近くの大通りに公営路線バス「170番」が走っていて、JBまで安く、早く(Bugisとか都市部にいるより)行ける事。

気分転換、暇つぶしでたまにJBに行ってた。気軽に行けるのは良かった。当時はセカンドリンクもなかったが、そこまで混んでた記憶もない。

仕事など考えなければ、シンガポールは基本どこに住んでも似たり寄ったりで変わらない。近くにショッピングセンターがあって、ホーカーセンターがあれば事足りる。

シンガポールは結構好きで、またまったり数カ月過ごしたいと思ってる。タイの次位にまったりできる好きな国かもしれない。いろんな面で疲れない。

でももう「外こもり」でシンガポールに住むことは2度とない、というか金銭的に無理なのかな。