48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【48歳無職】派遣労働終了。労働最終日はいつでも最高の気分だ

予定通り底辺工場派遣労働を昨日終えた。「48歳無職」に戻った。

2日前に派遣会社に電話して事情を伝えたところ、「月末に契約終了になる可能性が高い。」みたいな事を言ってた。それでは困るので、色々理由をつけて、翌日に退職になるように話を持っていきたかった。ただ確証は得られなかった。

労働最終日

2週間前から始まった早起きルーティーンと、朝の通勤は気分がいい。交通量も少なく、渋滞も当然ないし、快適。仕事内容がよく、アジア生活が出来なければ、これを続ける生活もありかな、とは思った。

自分は最終日と予定してても、もしかしたら月末までと言われる可能性もあり、不安な気持ちで出社。

派遣会社が派遣先に電話するのは10時過ぎだろうから、それまでは何も考えずに働こうと思った。

派遣会社から連絡がいついくか…

班長からの話などなく、10時半ごろの休憩時間になった。「今日本当に退職できるのだろうか?」とちょっと不安になった。

休憩から戻り、しばらくすると班長が近づいてきた。それが目に入った瞬間、うれしくなった。そして「あれ?今日で仕事終わりなんですか?」と聞いてきた。

どういう風に派遣会社が説明したかは分からないが、都合の良い質問だったので「はい。」と答えた。「月末で退職。」と言われなくて良かった。

労働最終日はいつでも最高

その後は、体も軽かった。常に「今日で最後。」という楽しい気持ちで仕事が出来た。

考えてみると、クビになった当日の開放感が最高に良すぎて止められない。まあそもそも何度もクビになってる自体異常だが。特に海外だと最高さが格段に増す。

まあ今回は海外でもクビでもないが。

労働中、常にアジアの光景が頭の片隅に

労働中は「これが終わればあの場所(アジアの町の中の光景)へ行ける。」って常に考えながら仕事をしていた。その事により、辛くつまらない労働にも耐えられてる気がする。

仕事をした事で、1日でも早く日本を脱出したい気分が強くなってきた。

ただ金銭、住居など諸事情の関係ですぐに脱出できない。下級労働も状況によったらあと1,2回やって、20万稼ぎたい。

今年の目標は年収30万円

4月までにクリアして、海外へ行ければベストだ。あと1カ月は無職で、3月15日から下級労働するかも。面倒ならこのまま今年は年収11万で終わるかもしれない。

ちょっとずつ先の予定が見えてきたことで、楽しくなってきた。負荷をかけずに気楽に生きていくことが大切。

自分は「金」「安定」でなく、「らく」「自由」「貧乏」を選ぶ。

それが自分らしい生き方、なのかな、と思う。