いよいよ来週引越。荷物を実家に置いてから旅に出る。
思い起こせば、この地に来たのは2014年4月末。今月末で丸9年経過。
好きでのないこの町に、よく9年も居たと思う。
1つの地(場所)に9年間いたのは最長
大学を卒業して、実家を出た。それから25年程経つと思うが、その間、9年間も同じ所に居た事がなかった。
仕事は長くて2年半程度、ほとんど1年未満で辞めてると思う。
住居も同様で1年未満での引越がかなりある。特に海外ではそうだった。
そんな中、9年間も同じ場所に居て、8年間連続して仕事できたのは、自分でもかなりの驚きだ。
「あきらめ」の9年間
なぜ9年間も腰を据える事ができたのか。
この地に来た時、丁度40代になる頃だった。
正社員として雇ってもらえる最後のチャンス。なので最後の転職と考えていた。
又、両親が高齢になってきた事や自分自身の結婚が現実味を帯びてきた事から、何となくもう長期で海外に出る事も出来ない、と決めつけていた。
30代までは、ちょっとお金が溜まれば海外をふらつき、気の向くまま現地で仕事したり、日本に戻ってきたりの繰り返し。
しかし40代という年齢になると、それが急に出来なくなった。
物理的には可能なんだけど、仕事、両親、自分の老後など現実を考えると、40代という事が重くのしかかり、精神的に不可能になってしまった。
上手く言えないが、「あきらめ」た、という事なのだろうか。
この9年間は何だったのだろう?
この9年間得たものは何もない。仕事、プライベートすべてにおいて何も得てないし、成長もしてない。思い出も何もない。
楽しかった訳でもないし、つまらなかった訳でもない。
理由はいろいろあるが、全てにおいて「あきらめ」てきた。
空白の9年間。でも「あきらめ」があったから、特に何も感じることなく生きてくることが出来た。
定年まであと10年ちょっと、そのまま「無」のままやっていく事も出来るような気がしていた。
60歳まで働き続ければ、400万円程度だが退職金も出る。
そして65歳から年金が約9万円/月もらえる。
そうすれば、老後はとりあえずは3食困らず、生き抜けるという計算がたった。
60歳まで「無」のまま働く。それが無難。なんとなくそれが目標になっていた。
ふと疑問が…
しかし、ある時ふと思った。本当にそれでいいのだろうか?
確かに自分レベルの底辺人間であれば、3食困らず、生活保護に頼らずに寿命まで自力で生き抜ければ、それで十分。
でもたった1度の人生、ただ生きるために労働して、労働して生きていくっていう事が正解なのか?
その疑問が頭をよぎると、もう働く意味が分からなくなり、同時に働く意欲がなくなってしまった。それが3年程前だろうか。
年齢を考えなければ、昔みたいに将来の事を何も考えず、自由な気持ちで旅に出れるのではないかと思った。
そして今
昨年、会社を退職して、失業保険を貰い終え、束縛がなくなった。
老後の事を考えると、選択が正しかったかどうかは分からない。
寿命前に3食食えずに野垂れ死ぬ、という結果になるかもしれない。
ただそれを考えると何も出来ないし、何も変わらない。
今の自分は何か変わってほしい、と思ってる。
次に旅に出て気持ちが変わる事を願ってる。
風見鶏のような生き方が自分に合ってる筈だ。