「海外沈没」
この言葉を聞いて、ピンとくるのは一定の年齢以上の方だろう。若い人が聞いても意味が分からないだろうし、「楽しい」と思える響きはないように感じる。しかし私はこの言葉に魅力を感じる。
果たしてこの言葉を初めて聞いたのは、いつの頃だろう。おそらく30年近く前、20歳前後の時ではないだろうか。
記憶は定かではないが、大学時代の旅の途中に聞いたと思う。後に分かるが、「沈没」という言葉が一般化したのは蔵前仁一さんの著書の影響だったようだ。
初めてインドへ行った時、旅をしている人から言われた。「ゴーゴー・インド」知らないの?」。その著者が蔵前さんだ。
帰国後、蔵前さんの本を読み、「へー、そんあ旅のやり方もあるんだ。楽しそうだな。」と思った。
海外に旅へ出ると、エジプトのカイロやメキシコのメキシコシティーとかで、いわゆる「海外沈没」している人達に出会った。何カ月もドミトリーに住んでいるような人達だ。
今までの旅で「沈没」経験はなし
あれから約30年、海外に住むことはあったが、「沈没」という経験はない。私のイメージだと「海外沈没」というのは、旅をしていて、たまたまある町を訪れ、好きになって長期滞在する、という感じだ。もちろんいいなって思って多少長く滞在する場所はある。しかし長いと言っても、1週間~10日程度だと思う。
最長だと何処だろう…? オーストラリアのダーウィンで3週間程度だろうか?旅人と出会える場所で、すごく楽しかった。ダーウィンという町が好きだったというより、ダーウィンという環境(オーストラリア1周の旅人が必ず立ち寄る場所)が好きだったのかもしれない。
モロッコの、とある町でも3週間くらい滞在したが、街が好きだったというか、ある出会いがあった結果として、長く滞在するようになった。あの出会いと思い出が、より一層、私を旅好きにさせた。
今更ながら「海外沈没」したいと思えるような場所に出会うための旅に、いつか出たいと思っている。
一般的には60歳の定年まで勤めてから、となるだろう。しかし「本当にそれでいいのか?」ってふと思った。 40歳を過ぎ、健康面に気を遣うようになる。どこかがおかしいとかではないが、体が不安になる。60歳になったら、今までと同じような旅ができないのではないか?という不安もよぎる。
いつやるか?
人間誰もがそうだが、その人の人生において今より若い時はない。それに「がん」等で60歳にも満たず、天国へ立ってしまう方もいる。そうすると、とりあえず定年まで仕事をして…なんて悠長な事を考えていると、その途中で、逝ってしまうかもしれない。
そう考えると、「人生1度。やりたい事をやった方がいいのでは?」と思う。一方、60歳、65歳になりました。お金が無くなりました、では困る。
今は、その辺でどちらの道へ進むべきか、非常に頭を悩ませている状況だ。
この文章をいつか「海外沈没」している時、「あの時は悩んでたけど、思い切って旅にでてよかったよなー。」って楽しく振り返る事ができたらいいなって希望を込めて、こんな形で記録に残していきたいと思ってます。
10年後の自分へのメッセージ
「あの時、 良い決断をしましたか?」「悔いのない人生を送ってますか?」
「沈没できる場所を発見できましたか?」