48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2023バンコク休息編】バンコク無職生活~街歩き

今日は曇っていて涼しいので、チャオプラヤー川まで行ってみることに。

バス一本で行ける「ラーマ7世橋」を選択。終点の目の前が船乗り場。

川周辺でゆっくりして帰ってこようと思ったが、気付いたら船に乗っていた。

サトーンまで行きオフィス街を久々に見ようと思ったが、地図を見ると結構遠い。

それなのでチャイナタウンまで行くことに。

それぞれの橋に思い出が

「この橋を渡って、家に戻ってたんだな。」「この橋は半月ほど前散歩した時に渡ったな。」「ここはバイクでバンコク行く時に使ってたあの橋だ。」等。

しかし橋の下から見ると随分景色が違う、というかどこも同じに見える。

そして去年夏に来たカオサン近くの公園。

この公園の木陰で川を眺めながら一休みしたっけ。

ヤワラート 〜バンコクの中華街〜

いつもの閑散とした住宅街を歩くのと違い、何か久々にワクワクするものがあった。

いかにもチャイナタウンという看板群をみて、香港を思い出すと共に、何か気分が高揚した。

丁度お昼だったので、昼食をとった。

そこそこ有名らしく少し並んで、クイジャップというのを食べた。

他との比較ができないが、特別美味しいという感じはしない。

タイもインドもマレーシアもそうだが、人気店、繁盛してるから美味しいわけでない気がする。

良くも悪くもどこで食べても同じ味。

昼食後は散歩しながら北上。

伝説のジュライロータリー

ここはかつて沈没者の巣窟として有名だった場所。実際に来た記憶は1、2回しかない。

この近辺に泊まった事は、一度あったような、なかったような。

自分が大学生の時は、マレーシアホテル近辺と共に、既に廃れていた。

なので全盛期を知らない。

あの頃の雰囲気でも、味わっておくべきだった。

 

売春婦に声をかけられる

チャイナタウンには名物の冷気茶屋というのがあるのは本で知っていた。

行ってみたいと思ってたが、チャイナタウン自体に行く機会がなかったので結局行けなかった。随分前の既になくなったらしい。

駅の方に歩いてると、真っ昼間なのに売春婦に声をかけられた。

考えてみると、こういう人も大変だ。昼間から好みでもない、街行く男たちに声をかけ、商売。それも基本毎日何時間も何年も。

自分が逆の立場だったら、とてもじゃないけどやってけない。

正直、頭がさがる思いだ。

大学生の頃は、売春婦を軽蔑してたが、今はそれはない。

生きるためには、それしか手段がないから必死にやるしかない。

自分がそうならなくて良かったと思うと同時に、可哀想だなあとも思う。

本当は有能であるが、家庭環境から売春婦になる以外の道が無かったのかもしれない。

一方 自分は無能で無職の分際でもこうやって海外で生活していけてる。

運命とは皮肉だ。

ファランポーン駅へ

何度か寝台列車で旅行したので来てるのだが、あまり記憶にない。

ただフォアラン ボーン駅の川側へ歩いて行った時に思い出した。

12年ほど前、バンコクからノンカイへバイクで旅した。

帰りは列車に乗せて帰ってきたのだが、バイクを下ろしたのがその横の場所。

ちなみに列車に乗せたのは1日だが、それだけでかなりボロボロに劣化してたのには驚いた。

コンテナの船便に1ヶ月乗せてから受け取ったような感じ。

なぜか列車でドンムアン駅へ

地図を見るとホテルから近い「BangKhen」駅があり丁度いいなと思った。

係の人に聞くと それならドンムアンへ行って、レッドラインに乗り換えて行きなさい、と言う。

気付いたら5バーツの切符を握りしめ、チェチュンサオ行き対面式田舎列車に座って、外を眺めていた。

ボロい列車だが、バンスーから高架を走り、すごいスピードで一気にドンムアンまで向かう。

地図で見ると「BangKhen」は、その途中にある。

何故そこまでの切符が買えないのか疑問だったが、納得。

もう地上の線路は走ってないのだ。

 

チャイナタウンでもうさっさと宿に戻ろうと思ったのが、14時。

結局、宿に着いたのが18時。

せっかく今日はエアコンの効いたホテルでゆっくりしようと思ってたのに。損した気分。

とはいえ、どうせ時間はあるのだから、旅も楽しまなきゃ、とは思うんだけど。