48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2024ジャワ島中部旅】3機目の「零戦」と初「隼」〜ジョグジャの空軍博物館

Googlemapを見てると空軍博物館と言うのが出てきた。

この博物館に零戦があるという事で行ってみたくなった。

そもそも何故このジョグジャという場所に何故あるのだろう。

後日会ったおじさんの話によると、ジョグジャカルタは戦争時オランダを含め、どの国の植民地にもなっておらず、独立を保ち、一時は首都だった、と言ってた。

そういうのも関係しているのだろうか。

 

宿から歩いて30分位。

暑いし、結構大変だった。

入り口に検問所があってパスポートの提示を求められた。

後でわかったが、博物館は空軍基地の中にあるのでそれなりにセキュリティも厳しいらしい。

 

平日なのに多くの人。特に遠足か課外授業の子供達が多かった。

やっぱり子供たちは元気があってかわいい。

屋外にはちょっと前に現役世代だったような飛行機が展示されていたが、あまり興味はなかった。

ただ1つ、この航空機の大きさと得体のしれない不気味さに圧倒された。

ソ連爆撃機と書いてあったかな。

子ども達が多く、博物館内は激混みだと思ったが、ガラガラだった。

多分興味ないだろうから、ほぼ素通りで速攻出口に到達するのだろう。

考えてみたら、自分も子供の時にこういう博物館来たら、そうしてだろうな。

まずはインドネシアの英雄たちの写真と功績の説明。

やはり各人の顔を見ると厳しさがあり、いかにも軍人という顔つき。

その目は東南アジア特有の人の緩さがない。

ここに飾られている飛行機は「赤とんぼ」と呼ばれた日本海軍の練習機らしい。

練習機なのに、扱いがすごいな。

これで練習して、パイロットになり、英雄が生まれたという事か。

領土をZone1,2,3と分けて管轄しているのだろうか。

考えてみると、インドネシアはかなり広い。

これだけの領土を守るのも大変だ。

とはいっても、周りに危害を加えてくるような国はなさそうだけど。

Zone3なんて何もないだろうから哨戒機使って気楽に空中散歩してるだけって気がしてしまう。

99式軍偵察機

敵の動きを探る、重要な任務を担っていたのだろうな。

「隼」。これもよく戦争の本に出てくる。

海軍が零戦で、陸軍の戦闘機が隼だったと思う。

軍神に崇められている1人が隼のパイロットだったような。

 

当時はこの1機1機の働きに日本の運命がかかっていた筈。

どういう気持ちで飛び立って行ったのだろう。

「絶対敵を撃ち落とす」なのか「もう俺も死ぬのかな」なのか。

これは1947年の対オランダ軍で使われたもの、って書いてある。

そしてメインの「零戦」。

ダーウィン、靖國に続いて、3機目の零戦との対面。

異国の地でみる零戦は格別だ。

しかし隼といい、なにか荘厳さを感じない。テカテカのペイントのせいだろうか。

こうみると、やはり靖国零戦がかっこいい。


しかし現代でも大型航空機と列車を使ってくるのも大変なのに、すごい所まで戦争に来てたものだ。

今でさえも水や食料の確保は難しいのだから、当時好きでもない異国へ来た兵隊さん達はとんでもなく大変だったに違いない。

左から、零戦、隼、99式偵察機

当時は華形。これらが空中を飛んでる姿を見ただけで、陸上の人は頼もしく感じたに違いない。

命を賭けて出撃してたパイロットの乗り込む姿が見えて来るし、その心境を考えるとなんとも言えない気持ちになる。

この辺に残ってるのは敗戦武装解除後、インドネシア独立戦争で使われたものであろうか。

 

戦争は良くないが、戦時下での出来事の一部は伝説となり、そこから英雄が生まれる。

そして崇められ、語り継がれる。

これって良いことなのか、悪いことなのか。

一番可哀想なのは、英雄となってるその人達を含め、その時代に生まれた人だ。

それを考えると、50過ぎて、無職で、悩みながら、好きこのんで旅してる訳でもないのに、楽しいかどうかは別として、旅それも海外旅行という娯楽をしながら、異国の地を彷徨いながら、美味しい、美味しくないは別として3食食べれてる今のこの状況。

それに幸せを感じなくてはいけないよね、と思う。