48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【下級労働】大雨の中、バイクで初出勤。そして即連休へ突入

日本はGW。全くありがたみがないGW。

去年は何をやってたか全く記憶なく、調べてみると労働中だったらしい。

 

7月に海外逃亡するため、退職を決定して頃だったみたい。

結局、入職時から考えていた、暑い夏を前に退職する事を決定したみたいだ。

エアコンもない倉庫での肉体労働なんか、不快でやりたくないと思っていた。

今回は真逆で、これから仕事をスタート。

 

先週、初出勤完了した。

数日前からの予想通り初出勤当日の朝は大雨が降っていた。

「試練の幕開け」

それでもバスや電車で行くのは嫌で、バイク通勤を選択。

下見はしてるものの、当日駐輪場が空きがあるかもわからない。

まあいざとなれば1時間200円の高級駐輪場というのがあるけど。

朝の8時前に出発。この時間に街に出るのは何カ月ぶりだろう。

学校へ行く子供たち、通勤中の社会人。

こういう光景を見るのも久々だ。

この街にもこんな多くの子供たちがいたのかと安心する。

 

駐輪場は電車の駅下にある駐輪場を利用。

バイク用で5台分は5時間200円、他は1時間200円。

1台も停まっていなく、通勤で使う人はいないようだ。

毎日確実にここに止める事が出来れば、1日400円なのでまったく問題ない。

 

そこから職場までは歩いて10分程度。

担当者との待ち合わせは会社の受付ロビー。

会社の中から出て来ると思っていたが、予想外で外から来た。

9時待ち合わせで、9時出社。それに合わせて受付で待ち合わせ。

5分前に出社してない所が素晴らしい。

 

職場に行くが、誰一人出勤していない。

これはいい。まさにこういう緩い環境を求めていた。

 

職場はスタジオなので、天井広く、高く閑散としている。

その1画に8個ほど机の並べられたその1つが私の席だ。

職場環境は理想通りっぽい。

ただGWだから人がいないのかもしれないし、再来週にならないと本当の雰囲気は分からない。

 

初日はパソコンの設定をしているのを横で待っているだけ、それとちょこっとシステム関連の説明があった程度。

これでお金がもらえれば楽でいい、と考えてしまった。

こういう浅はかな事を考えてしまう自分は、やっぱり能無し底辺労働者。

 

休憩は午前と午後で合計30分あって、給与は引かれない。

これは労働者側からみるとかなりうれしい。

これが働きやすい環境かどうか、の判断目安の1つとなる。

前回の倉庫労働の会社も古い体質の会社だったが、休憩時間は労働時間から引かれなかった。

 

最後に2時間程作業をして、18時に仕事終了。

初日は特に何の感情もなく仕事を終えた。

久々の仕事という感じもなく、ようやく初日を終えた、って達成感もなかった。

8時間労働も長いとか早かったとかも感じない。

こういう感じで年齢重ねると喜怒哀楽が無くなるのだろうか。

 

前回の派遣労働時はもう少し「労働した」という心地良い感覚があったと思う。

 単に肉体労働で肉体的疲労があったからなのかもしれない。

多少の肉体的苦痛と疲労があったほうが何かをやった感を得れるのは、肉体労働者としての、ある種の憐れな習性なのかもしれない。

 

今回は1回出勤して、即4連休。

そして今週も2日働いたら、又、週末は休み。

久々の労働再開としては、これ以上ない位ちょうど良い。

少しずつ体を慣らしていける、理想的なカレンダー。

 

来週になると管理者他も出勤。

そして部署の人たちも出勤して、どう雰囲気がかわるのだろうか。

 

その辺もまだまだ分からない。

最初の契約期間の6月末まで持つのか、数日で辞めてしまうのか。

今の所6月末までに退職する可能性は30%位か。

まずはバイト感覚で5月15日まで頑張ってみよう。

【下級労働】10カ月ぶりの労働へ。仕事開始まで心境

いよいよ10カ月ぶりの労働始動まであと数日。

次に無職状態で海を見ながら時間を潰すのはいつになるだろうか。

来週?来月?または来年?

できればそうなりたくはないなあ。

有休でたまに平日休んでぶらぶらする位が一番良い。

 

いよいよ仕事開始まで2日に迫った。

一番の不安は通勤。

先週と昨日、駐輪場探しに行ったが、見つからなかった。

バイク用定期駐車場は頭数が少ない上、全て満車。

時間貸しの駐輪場は9時間止めて1日1400円位になる…。

月2万8千円なので月極駐車場と同じ。

公営駐輪場なら月3300円なのに。

 

電車は地区で一番混む区間を乗る事になり、想像だけでギブアップ。

バスは時間が読めなく、乗り換えもある。空いていれば悪くないのかな。

あとは自転車。45分位かかる。労働前に汗かくのは嫌だけど、これが最有力。

昨日実際にやってみたが、無職状態でも嫌だったな。

これが労働前、労働後、毎日と考えると辛い。

雨の日に合羽着て自転車に乗っている通勤サラリーマンや子供送迎主婦の人をみるといつもすごいなあと思う。

 

久々の労働。まずは3日間頑張ってみよう。

それをクリアしたら2週間。そして1カ月。

今回は2カ月頑張って、夏季海外逃避2カ月になってもいい。

2カ月でもクリアできれば、金銭的にもかなり楽になる。

 

今回の1時間の労働時間は8時間。

週5日フルタイムでの労働は2022年位以来かもしれない。

これみるとあの時、正社員だったにもかかわらずほとんど会社に行ってなかったみたいだから、実際は2021年以来かな。

しかし改めて2022年の労働状況見ると自分でもすごいなと思う。

ほとんど労働しなくて、最低限の収入だけ確保する。

週2,3回だけちょこっと会社に行って、午前中だけで帰るって…。

会社なめすぎ。ろくでもない人間だ。

ただ実際には会社に原因があって、復讐的な意味合いもあるのだけどね。

会社を辞める事を恐れなければ、労働者も強く出れるって証左。

 

ところで今回の仕事。

倉庫最底辺労働ではないので、精神的には楽になるとは思う

「最底辺労働」に比べたら、自尊心は保てるのかな。

倉庫労働等最底辺労働していると、常に自分に対する哀れさとの戦い。

50代にもなってそんな事をしている自分を俯瞰して眺め「かわいそうな人だ」と下げずんで見てしまう。

 

まずは初日が大きな壁。

コミュニケーション能力が問われない仕事だといいけど。

今回の仕事は行ってみないと全く分からない。

 

不思議なものだが、仕事が決まると、海外に行きたい気持ちが強くなってきた。

特に「海外アパート+レンタルバイク生活」を今すぐにでもやりたい衝動に駆られている。

実際にやろうと思えばできる訳だし。

 

こういう気持ちの変化も良く分からない。

3月上旬に海外から帰国。

1日でも早く労働した中、審査落ちまくって1カ月半経過。

とにかく平日労働したい一心で、あまり海外に逃亡したい気持ちは起きなかった。

そんな折、ようやく労働が決まった。

すると労働通勤するのを考えるだけで辛くなり、気持ちが重くなる。

そして海外で生活したくなってきて、今すぐにでも出国したい気分に駆られる。

 

まあ仕事から逃れる事は出来ない。

そして1度仕事を始めれば、雑念が頭に浮かぶ事無く、あっという間に日々が過ぎていくと思う。

海外逃亡資金も貯まっていくので、一石二鳥だと思う。

そうなれば、一番いいし、そうなる事を願っている。

何はともあれ、「今すぐにでもあの場所へ行って、海外アパート生活を始めたい!」という気持ちが強く湧いてきている。

こういう思いが芽生えること自体がとても大事で、こうした感情があれば、生きるモチベーションも保っていけるかな。

【50代無職】真夏の2カ月海外逃亡計画は白紙に。ようやく決まった派遣労働

通院帰りに川沿いで一息つく。

水辺はそれなりにいいけど、海外と違い開放感がない。

ここが1ヶ月ちょっと前に居た、あのシンガポールのVivoCityだったらと思う。

チャオプラヤーの川沿いでも気分爽快だろうなあ。

なぜ日本だと同じような環境でも爽快さが全くないのだろう。

 

さて仕事が決まらないとなると、5、6月位まで事故通院を継続して、その後海外脱出。

そして8月に気分転換兼ねて、改めて渡航先からのんびりと派遣先探し。

そんな予定になるのかな、とぼんやりと考えていた。

 

2年前にパトンで同じような事をやろうと思っていたが、ほぼ何もできなかった。

プーケットでリゾートビーチ暮らしをしながら、たまに就活書類の準備をしたりして、完成したら応募。

多分気分も楽しくなっているだろうから、実家にいながら同様なことをやるよりもはかどると思っていた。

結果はどっちにいても成果は同じで、ほぼ何もできなかった。

 

派遣応募10連敗に到達する頃、1つの案件に応募した。

大手外資系のかなり良い案件で、ほぼ落選確実。

既に似たような案件で3回落選している。

応募して電話は来たがその後連絡が来ない。これも最近はよくある。

こうしている間に航空券代が値上げしてしまったら嫌だ。

今回応募した案件は、短期ではなく長期の仕事。

受かってしまったら、航空券は捨てることになる。

でもほぼ落選だろうから、航空券を買ってしまおうかと悩んでた。

その頃、ようやく連絡が来て「顔合わせ」が決まった。

 

今回の派遣先とは、実際の顔合わせはなくZoomのみ。

対面よりも、かなり緊張した。

それは、画面に相手の正面の顔が見えなかったから。

派遣先の映像は、テーブル上から面談者二人をバードビューで映している映像。

派遣元担当者の映像は、コネクション不良という事で画面には名前のみが表示されている。

画面に向かって話をしているのだが、相手先の人にしても顔が見えてないので聞こえている気がしない。静止画みたいな感じ

それがすごく気になってしまい、いまいち上手く喋れず終了。

「落ちたな。」

既に対面で2社顔合わせした時は、何の準備もしてなくても、緊張もせず適当に喋れて問題なかったのに。

 

面談後、派遣会社の担当者から電話があり、この後先方に聞いて、このお客さんは決定が早いので決定は今日中。遅くても2~3日には連絡があると思うという事だった。

当日期待して待ったが、連絡は来なかった。まあこの時点でダメかな、と。

 

数日経過した時、スーパーで買い物していると電話が。

派遣会社の担当者からだった。

落選でも律義に電話してくれる人もいるからそのパターンだと思っていた。

相手方からも「ぜひお願いしたい。」との回答だったという事。

 

ようやく仕事にありつけた。

派遣とはいえ、さすがにうれしかった。

こういう「うれしい」という感情が湧いたのは久しぶり。

 

選考に通ってうれしいというか、有無をいわさず平日日中の予定が強制的に全て埋まることがうれしかった。

そして海外逃亡2カ月行かなくて済む、とも思った。

でもこれもよく考えると我ながらおかしな心境。

普通は仕事せずに海外2カ月行く方がテンション上がるよなあ。

 

何より、空いた時間がそのまま“束縛の時間”になり、その束縛時間がお金に変わるということが嬉しかった。

最近は、それを「現代版の錬金術」みたいだな、なんておかしな考えを持ってしまう。

働いてお金をもらう事は仕事でもバイトでも当たり前のことだし、皆そうやって当たり前に働いて生きているのに。

 

あとは職場次第。

行ってみなければ分からないけど、5、6月退職の線も当然ある。

今年の夏はどこに居るのだろうか?

プーケット、ラヨーンでビーチ生活?ダナン?バンコクアパート外こもり生活?

はたまた実家生活継続で、毎日汗を流しながら自転車通勤しているのか。

【50代無職】無職生活10カ月経過。50代無能男は仕事にあり就けるか

久々にこの場所へ。

去年の夏以来かな。

ここへ来る時はいつも海を眺めながら仕事について考えている気がする。

仕事探しは相変わらず。

やっぱ派遣でも50代男だと需要なしだな。

派遣の仕事の場合、顔合わせが決まった時点でほぼ採用決定だと、数年前まで思っていた。

2年程前に顔合わせでも決まらない事が数社あって、今回もあった。

やっぱり年齢なのかな。実際2年前に年齢聞かれた所が落ちたって事も有ったし。

とはいえ、上手くタイミングが合えば何かの仕事にありつけると思っているし、そう願っている。

 

クビ後、4月末で丸4年、実家帰還後、丸3年経過。

クビ後の海外滞在日数は383日なので、4年のうち1年は海外に居たようだ。

その他約1年はアパート生活、そして約1年は労働従事かな。

派遣労働最終日は昨年6月17日だったので、無職生活は丸10カ月経過した事になる。

 

去年の10月、帰国して1カ月、実家プチ介護生活も精神的に辛くなりだし労働したい気分になってきた時に自転車事故に遭う。

それからリハビリ通院生活が始まった。

この時既にリハビリより労働したい気持ちの方が強く毎日うやむやしていた。

正直精神的にも金銭的にも労働していた方が楽。

6カ月経過した今も一部痛みは残っているけど、もういい加減「実家滞在+リハビリ通院生活」は終わりにしたい。

そして一日でも早く労働したい。

 

そういえば「生活保護もらいながら無職でパチンコ三昧の生活」。

たまにこういう記事を目にする。

多分、その話を聞いて「羨ましい」。それが「妬み」に転じて「けしからん。」「許せない。」と思っている人がほとんどだと思う。

ただそういう人の大半は、実際にその生活をやったら耐えられなくドロップアウトすると思う。

生活保護はいらないから、働かせてくれ、ってなると思う。

自分は間違えなく無理。当然羨ましいとは思わないし、自分がその生活を出来たとしてもやらない。

 

私が考えるに、実はそういう労働しない無職生活を継続するにも能力が必要。

それも1つの「才能」。

生活保護を貰いながらパチンコ三昧している人を見て「この人は才能ある」なんて発想、まともな人は絶対にしないだろうけど。

自分にその才能があれば、今の状況でもすごく楽しんで生活できるのになあ、って思う。

 

何はともあれ帰国後1カ月半経過して、日々精神的に辛くなっていく。

この調子だと、とりあえず7,8月は海外逃亡の可能性が高い。

その前に最低でも5,6月は短期労働をしたい。

最悪は5月か6月まで今の通院生活を継続して、夏に海外2カ月。

 

通院しながら気長に、気楽に仕事探しをすればいいのだけど、どうしてそれができないんだろう。

20代後半〜30代の頃にも似たような状況は何度もあったのに、「精神的にきつい」と感じたことは一度もなかった。
むしろ、仕事をせずに気楽に過ごせていることへの満足感のほうが強かった気がする。

あの頃のようなメンタルを、なんとか取り戻したいなあ。

【無職生活】大いなる矛盾。労働したいがやりたくない

帰国して1カ月経過。

少しずつ寒さも和らいで一番よい季節が到来…

と思ってたが、最近は違う感情が。

暖かいから外へ出るようになるのか、人がうっとおしくてしょうがない。

最近特に人が多くなっているからなのか、昔からこんなものなのか、その辺は定かではない。

その人の多さ。見るだけで辛くてしょうがない。

なんでこんな人が多いの?

でもこれから逃げる手段はない。辛い。

 

結局、帰国日に成田から応募した派遣先は落選。

やっぱ理想通りスムーズにはいかないものだ。

バタムに居た時も、1つ良さそうな案件に応募したが落選した。

 

2年前の夏は、プーケットから就職先(派遣)を探した。

パトンの宿からZoomなどでオンライン面談をしたり、バイクでプーケットを回っている時に派遣会社から電話があったり、で海外に居ながらも相手に感づかれず、就職活動できる楽しさみたいのも久々に味わった。

 

パトン滞在の時は帰国1カ月程前から仕事探しを始めたが、その時感じたのはタイミングが難しい事。

応募して書類選考が通ると連絡が来る。その待ち時間は数日だったり1~2週間程度だったり。

書類選考を通過すると、今週中か来週中に1度顔合わせ…となる。

帰国後になるので2~3週間後先となる。その事を伝えると、そこで終了。

 

帰国1週間前。時間的には応募するのに一番良いタイミング。

そういう時に限り応募できる案件がなかったり、あっても書類選考で落とされ、顔合わせまで行かない。

そして帰国後何もないまま1週間、2週間、と過ぎていく。

 

この辺のタイミングが難しい…というか運次第なのでコントロールは出来ない。

 

その辺の時間的なタイミングを考えて今回は動いた。

が結局上手くいかず、帰国してから1カ月経過。

なんだかんだで応募して8連敗。

2社ほど顔合わせもしている。

原因は分からないが、年齢考えるとまあそんなもんだよな。

 

そもそも50~60歳の男性は派遣、パート労働界では一番需要がないだろう。

40代、50代のおじさんがこういう派遣だったりパート的な仕事をしているとすごく違和感があると思うし、そもそも一緒に働く人も扱いづらかったりで、嫌だろうな。

 

逆に女性であれば、問題ない気がする。子育て終わって又働きに出る人もいるだろうし。事務関係の仕事であれば、別にパートのおばさんも多く居るわけで違和感はない。

60歳以降のおじさんでも違和感ないと思う。

定年後にちょっとした暇つぶしと収入の為にやる人も多いだろうし。

 

この前派遣先を見学に行って思った。

狭い空間での作業。息苦しい雰囲気。

狭いので他の人に気を使う。毎日そんな感じで仕事するのは辛いだろうな。

それに周りに人がいて気が抜けない。疲れるだろうな。

昼食事をゆっくりできそうな場所がない。

ちょっと無理だな。

 

考えてみると、自分は仕事を選べる状況ではないのだけど、色んな面で働ける環境の制限がある。

「通勤」「職場」「対人」「職場周りの環境」「仕事内容」

多分、メンタル面で普通の人は、「それは単なる甘えだ。」「誰だって嫌なんだよ。」とかと思うだろう。

自分にとっては辛すぎる。嫌だというレベルではないのだ。

それに耐えて仕事をするくらいなら、野垂れ死んだほうがいい、と考えてしまうほど耐えがたい事。

 

一方、旅行中もそうだったし、今もそうだが、とにかく労働したい。

1回労働を開始すれば、多分時間も淡々と過ぎていき雑念は浮かばないし、恐らく今のもやもやは吹っ飛ぶ。

給与日まで待つ、あのちょっとした幸せ時間も味わえる。

そしてお金も入る。

何もせず、もやもやしている位なら、とりあえずお金を得ておくべきだしな。

 

その為に今動かないといけない。

しかし何をやるにも面倒で面倒で仕方ない。

何もやらなければ何も変わらないのは当然の事。

頭では分かっているのだけど、それでも出来ない。

ちょっとこの無気力感は病的。

本当に気力がなさすぎる。

 

これは単なる怠けなのだろうか?

何か違う気がする。

人生の終着点、「寿命」「死」が現実的になってきたと感じてきてからこうなったと思う。

諦めというか、今更何やってもしょうがない、というか。

燃え尽き症候群で自死を選ぶ人の気持ちが少し分かるような気がする。

いや、自分自身は燃え尽きるような努力も何もしてないのだけどね。

 

色々考えると疲れてきた。

辛いからまた海外に逃げるか。

逃げた所で数か月後には、またその問題に直面する。

でも海外行けば、一時的にだが精神的には楽になる。

海外逃亡するか、こんな自分でも労働できる場所を必死に見つけるか。

 

今回は労働すれば精神的にも楽になるし、何か別の景色が見えてくる気がする。

とりあえず1日10分だけでもいいから、頑張ってみよう……

少しづつでも目標に近づけるように。

【2026リアウ諸島船旅】底辺労働者階級。精一杯のシンガポール観光。そして帰国

≪20:00≫近くまでデッキでゆっくりして、そろそろ空港方面に動くことにした。

MRTで一気に行く事も考えたが、味気ないしつまらない。

時間調整も兼ねてバスで行く事にした。

ハーバーフロントのバスディーポへ向かう。
懐かしいというか、かつて日常の一部として見ていた風景が広がっている。
15年、いや20年くらい前のことだと思うが、不思議とそんなに時間が経ったようには感じない。
あの頃は公営バスでシンガポール中をあちこち巡っていて、特にここは始発だったから、自然と足が向いていたのだろう。

≪20:25≫発の60番バスに乗る事にした。

夜の貧乏人スタイルのローカルバス観光+飛行機待ち時間調整。

 

このバスは思い出の地を巡るルートになっている。

出発したバスはしばらくすると見慣れた綺麗なオフィス街を通過。

ここは【Tanjon Pagar】。

このオフィス街は、週末に来ると人がほとんど歩いていない。
その静かな雰囲気が好きで、よく週末に散歩しに来ていた。

それとここには中国語の勉強で来ていたな。

 

少し走ると【China Town】

このビルの近辺なんか鮮明に覚えているんだけど、何故ここに頻繁に来ていたのか全く記憶なし。

裏の路地の道まで今でも結構覚えているんだけど。

ラオパサ(ホーカーズ)行って、散歩しながらこの辺に来ていたのかな。

 

しばらく走ると【Bencoolen St】。

この響きが懐かしく大学時代の初めての一人旅を思い出す。

1993年当時は安宿街という事で紹介されていた。

その当時でも他の国にあるような安宿街って感じではなかったけど。

 

バックパックを背負って歩いていると、白人旅行者に「宿、探してるの?」と声をかけられ、そのまま一緒にひとつのビルへ入っていった。
そこが宿だったのか、今でいう民泊のような場所だったのかはもう定かではない。
ただ、そこで日本人旅行者と出会い、なんとも言えない“旅している感”があって、あの時は全てが新鮮で本当に楽しかった。

 

そしてバスは【Queen St.】を通過。

ここにはマレーシアJB行きのバスが出ている場所があるのでたまに来ていた。

SBSトランジットの国境行き160番バスもここから出てたっけな。

 

そして【Bugis】。

ここにはインターネット屋があったので、よく通っていた。
ということは、携帯はあったものの、Wi‑Fiも一般的ではなく、スマホなんてまだ存在しなかった時代だ。
それと、好きな海南チキンライスの店もあった。
場所はもうはっきり覚えていないけれど、また美しいチキンライスを食べたいなあと思う。

 

そして【Aljunied】で下車。この時≪21:10≫頃。

チェックイン時間は2時間前で≪22:55≫。

そのままMRTに乗り換えて空港行って観光客の多い空港で時間潰すのも嫌なので、この近辺をふらつく事にした。

 

ここは安ホテルHotel81に泊まるために良く利用していた場所。

通りを2本ほど先へ行くと、何度か泊まったことのある Hotel 81 がいくつか並び、その周辺には公娼街もある。
久しぶりに今どうなっているのか見たくなり、少し歩いてみることにした。
しかし、夜なのに蒸し暑い。
ほんの少し歩いただけで汗がにじんでくる。飛行機に乗る前に汗をかくのは本当に嫌だ。

あと通り一本という所まで行ったが、そういえばそんなもの見てどうするのか、とふと思って方向転換。

といっても行く場所もないので暗い道を意味もなく歩く。

この一帯は労働者階級の人間が多い。

その横の路地を覗くと路上にぽつぽつ痩せた肌の黒い人が座っていて、なにか異様な光景。

そんな光景を見ても逆に仲間意識を感じて安心感を感じてしまうのは、自分が底辺労働者階級の人間だからだろう。

 

ホーカーズでゆっくりしたいのだが、記憶ではこの一帯にはそういう心地良いホーカーズがない。

結構な距離を歩き回るが、やっぱりない。

そのうちにお腹も空いてきて、食事をとりたくなってきた。

 

いつもだとシンガポールから飛行機に乗る前は食事はとらない。

何故か分からないが今回はどうしても空腹を満たしたくなった。

駅前にあるホーカーズで値段を見ると、結構な値段。

決断できずその周りをうろうろして、別のホーカーズを探すも全くなく、結局そこで食事をとる事にした。

 

前の人の注文した飯がカウンターにのっけられていく。

それを見るとかなりのボリューム。肉の塊が乗っている。

まさかあれじゃないよな?と期待半分。久々に心が躍った。

そういえばここ数年の海外旅において、がっつり食事をとれた事ってほぼなかった。

チェンマイ以来だと思うけど、あの時はビュッフェだったしな。

自分の食事がカウンターに載せられた時、本当にこれなんだってかなり気分が高揚した。

 

そしてシンガポールの通りを行きかう車を眺めながら最後の晩餐。

こうして写真で見ても全然おいしそうに見えないし、肉厚さが全然分からないが、肉厚叉焼でめちゃくちゃ旨かった。

東南アジアの一般的な飯屋で食べる、薄く切ってある叉焼とは全然違う。

叉焼飯S$5.8≒725円

、と値段もそこそこ、というかこの旅一番の食事代。

シンガポールでの飯代もここまで上がったか、と思ったが、これはそれ以上の価値があると思った。

 

旅の中で一番おいしく感じたし、久々に食事で満足感を得られた。
夕方に食べた KFC が2番目に良かったくらいだ。
それまでのインドネシア10日間で食べた食事は、一体なんだったんだろう…。
ジャンクフードが2位に入ってしまう時点で、食事を楽しめていなかったということだよな。
考えてみると、インドネシアの料理は具材が少なすぎて、いつも満足感が得られない。
どこへ行っても、あからさまに食材をケチっているのが分かってしまい、それがすごく嫌だった。
食事を含めた“コスパ”で考えると、インドネシアはあまり良くない。
マレーシアもそうだったな。

 

そして最後に濃厚で甘いコピーアイスでこの旅を締めくくりたくなり、ドリンク屋に。

値段を聞くとS$1.9。日本円に換算すると約250円…。断念した。

 

しかしシンガポールも食事コストが上がりすぎ。

海南チキンライスは在住当時S$3≒195円、今はS$5≒625円。

Kopi iceは当時S$1.2≒78円、今はS$1.9≒238円。

値段自体も上がり、為替レートも2倍。

融合すると3倍だもんな。それは高く感じる。

当時から東南アジアの中では物価が高いと言われていたシンガポール。

とはいえ、日本より全然安かった。

 

しかしシンガポールが金銭的に居心地がこんなに悪い場所になってしまうとはなあ。

一人当たりのGDPも日本を超えている。

やっぱり物価が安いから楽しかったのだろうか。

 

「食」に満足すると、気分も良くなる。

しかし「食」に満足する為にはそれなりのお金が必要。

やっぱ「金」だな。

という事は労働して、予算を増やしワンランク上の旅をすれば楽しめるのかな。

 

そしてMRTに乗って空港へ。

≪22:50≫チャンギ空港に到着。

機械のチェックインが出来ず、久しぶりにチェックインカウンターに並んだ。

 

シンガポールからのフライト。

タイ便と違い怪しいおじさんがいないのが爽やかで、自分がまともな旅行者になった気分になる。

シンガポールに来ている人は身なりも違う感じもするし。

とはいえ、自分も同類なので、タイ便の方が心地は良いのかもしれないけど。

一人で飛行機に搭乗する人もシンガポール便はほとんど居ない印象。

 

帰国便は往路便と比べて1時間程早いので、気持ち的には楽。

飛行機は搭乗予定時間が30分ほど遅れた。

こういうのが一番嫌で、疲れる。

 

飛行時間は約6時間。なんとか耐えた。でもやっぱり辛かった。

成田着陸前、照明はレインボーカラーにかわってた。

機内のLED照明がここまではっきりとしたレインボーカラーになった事は初めての気がする。

なんとなく爽やかな気持ちになれる。

でもやっぱり色調、色彩を調整できるLEDのおかげで、メンタル面でも良い影響をもたらしていると思う。

 

≪08:45≫。シンガポールからの出発は30分遅れたが、ほぼ予定通り到着。

 

成田到着後まず探したのは吉ぎゅう。いままで成田で食べた事はないのだが、何故か今回は食べようと思っていた。

シンガポールでも、KFCで食事をとったり、搭乗前に叉焼飯を食べたりと、いつもやらない行動の連発。

 

その後、最近定番の展望台でしばしゆっくり。そして派遣会社からの電話連絡を待つ。

≪10:00≫派遣会社から電話連絡を受ける。

条件悪くないので応募。4月から仕事が決まれば流れとしては良い。

 

そして空港バス、電車を乗り継いで実家へ向かう。

 

≪13:55≫実家に到着。

丁度、カリムン島のホテルをチェックアウトして24時間経過。

思い返してみると、この24時間もただの移動ではなく、それなりに“旅らしい時間”を過ごせていた気がする。

シンガポールまでの移動は苦痛でしかない。そしてシンガポールもバタム島、カリムン島も何がある訳でもない。

それでも、早くもまたあのルーティーンのフェリー旅をして島まで行きたい気分になっている。

来年なのか3年後なのか5年後なのか。

その時は、予算をワンランク上げ、しっかり食事をとろうかな。

「お腹が満たされれば、(多分)旅が楽しくなる。」という初歩的な事に初めて気づいた。

小学生かよ、って思う位レベルの低い発想だけど、まあ人生1回。

どんな形であっても、旅が楽しめるようになればそれでいい。

【2026リアウ諸島船旅】カリムン島からチャンギ空港へ。実家まで外で過ごす辛い24時間。

とうとう帰国日。

いつも最終日はちょっと気持ちがブルー。

移動もあるから離陸まであと12時間、実家到着まであと24時間ある。

その間、プライベート空間でゆっくりできない状況で、ずっと外で過ごさなければならない。

 

ホテルは≪12:00≫にチェックアウト。

まずはいつもの飯屋でNasiAyamを食す。

いつもの何気ないルーティーンでも、今日が最後で更にこの後ゆっくり出来ない事を考えるとちょっと寂しくなる。

 

炎天下の中、宿に歩いて戻るのも億劫になり、Grabでバイタクを呼ぶ。

宿によって荷物をピックアップしてそのまま港に。

楽で簡単すぎる。

 

タンジュンバライ港についてフェリーチケットを購入。

こうしてみるとこのチケット売り場もすごく綺麗になっている。

インドネシアのフェリーのチケット売り場は暗くて汚くて暑いイメージしかった。

出航まで、まだ1時間以上ある。

ターミナルを出た所にある、バイタク暇つぶしポイントに行く事に。

海は汚いし砂浜がある訳でもない。何か特別なわけでもない。

でも海風が本当に心地いい。

それだけで十分快適。

 

フェリーは定番のPENGUIN Ferry。

これを見ると、バタム、カリムンに来たんだと実感する。

フェリーは≪14:00≫過ぎにカリムン島を出航。

この瞬間、少し寂しい気持ちになると共に、またいつか来ようと思う。

この景色を見ると、この島に来た3日前のあの日に戻りたくなる。

離れ行くカリムン島を見えなくなるまでずっと眺めていた。

 

海上ではタンカーも良く見かける。

こういう景色も新鮮で良い。

フェリーの乗る事、1時間半程。

シンガポールが見えてきた。

今回はこのシンガポールに上陸しないといけない。

いよいよ旅も終わりに近づいている、という感じ。

 

そしてセントーサ島が見えてきた。

10日前にはこの浜に居たんだよな。

この辺にでかいマーライオン像があって、それを眺めながらここをフェリーで航行するのが、マストのルーティーンなのだが、それが見つからなくて、ちょっとがっかり。

後で調べてみると、数年前に既に取り壊されていたらしい。

 

そしてVivoCityが見えてきて、港に到着。

これでフェリー旅は終了。

ここの入国審査場。

いつもかなりの人が並んでいて、1時間は並ぶ覚悟をしていたが、一人も並んでおらず5分で通過。

日本もそうだが、パスポート自動読み込み、顔認証みたいのが導入されて、スムーズになった。というか最近は日本もそうだが、入国審査で一人も並んでない。

こういうのも便利でよいのだけど、味気ない。

 

こんな感じであっさりと≪17:00≫にシンガポールに入国。

とりあえずいつも通りホーカーズ方面に真っすぐ歩く。

このHarbourfrontCity内のこの場所を歩いていると、すごく懐かしくワクワクした気持ちが湧きあがってくる。

特に何かある訳ではないので、何故ワクワクした気持ちになるのかよく分からない。

シンガポール在住時に島へ渡るときの通学路的な感じで通っていたのだが、その時もそんな感じだった気がする。

こう考えると、あの時もなんだかんだで楽しかったのかな。

 

そのままKFCに向かった。

S$5ミールを食べたかったから。

しかしバーガー系のミールは全て売り切れ…。

こうなると意地でもS$5ミールを食べたくなってくる。

隣のVivoCity内にあるみたいだったのでそちらに移動。

20分近く歩き回ってようやくKFCを発見。

≪17:25≫。S$5ミールを注文。

ここでもVisaタッチが役に立った。

S$5≒645円。在住時のレートだと325円。

こう考えると、物価上昇より為替レートの方が影響が強いのかな。

Visaタッチ・EPOSカードの為替レートはあまりよくない。

当日の為替レートはS$1≒125円に対して、カード会社のレートは129円。

 

KFCで食事をしながらゆっくりしたがまだまだ時間はある。

Vivo Cityの外に出て海側を散歩する事にした。

この先にある道を右に行けば歩いてセントーサ島に行ける。

今回は荷物もあるし、行く気にはならなかった。

朝とか夕方に散歩すると気持ちよさそうだ。

そしていつものVivo CItyの屋上に向かう。

やはりここがいいかな。

足まで浸かれるプールがあるから、なんとなく涼しく感じるし。

眺めが良く、人が少なく、静かな場所を発見。

地べたに座り壁に寄りかかり海を眺める。

やっぱり貧乏人のリラックススタイルはこれだ。

 

「屋上テラス+デッキ+素足」。

生暖かい海風。本当に気持ちいい。

南国ならではの心地よさが全身にしみわたる。
正直、わざわざセントーサ島へ行くより、ここで過ごすほうが断然いい。
今後は、ここで飛行機の時間までここでゆっくり調整するのが定番になりそうだ。

 

今回の旅は、このテラスから始まり、このテラスで終わった。
雨の早朝にシンガポールへ到着し、そのままここへ移動してきた。
あれから約10日。島を経由して、再びこの場所に戻ってきた。
海風を感じながら対岸のセントーサ島を眺めていると、この10日間の出来事がゆっくりと頭の中に浮かんでくる。
特別に「楽しかった」と思う瞬間はなかったけれど、振り返ってみれば、それなりに心地よい日々を過ごしていたのかもしれない。
「到着したあの日に戻りたい」と思うのは、きっとそういうことなんだろう。

 

旅の最終日になるといつも感じる、「まだこの地でゆっくりしたい」という気持ち。
その思いがあるうちは、きっとまだこの「旅のような生活を続けていけるんだろうな」、とふと思う。