48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2025タイ北部バイク旅】目指すはビルマ国境。白骨街道は夏の軽井沢

僻地の国境検問所を見たくなったので行ってみることにした。

 

国境までの道沿い。

高床式の家屋が多い。

この街道にはこういった 少数民族の村が点在している。

よくわからないけど なんとなく雰囲気が怖い。

左の家、現代風に改築されている。

これだと高床式の意味が全くなくなってしまうような…。

 

道路 自体 景色を含めて快適。

まるで日本の軽井沢を走ってるような感じ。

周りを山々に囲まれた道を走りながら、ゆるい カーブが続いて行く。

こういうところを抜けると開けた場所に出る。

これの繰り返し。

こののどかな道路沿いに兵隊達の遺体が連なっていたとは想像できない。

今回 バイクで旅をしているけど、実はタイ北部をバイクで旅したいという理由でバイクを借りて旅してるわけじゃない。

単に このクンユアムまで来ることを考えた時に、ローカルバスだと 乗り継いだりでかなり面倒だなと思っただけ。

いつ来るかわからない バスを待ったり、狭いバスにぎゅうぎゅう に詰められるのは嫌だった。

単にバイクの方が楽、気楽ということで選んだだけだった。

結果論だが、これまでの山道を走って美しい景色を見たりしていると、偶然であったがバイクで旅をして良かったと思う。

 

このクンユアムから西、つまり国境 方面の山岳地帯へ向かうルートを走る時、半分すぎるといつも不安な気持ちに襲われる。

うまく説明できないけど何か嫌な感じ。

少数民族の村が点在していて 何か違うのか、犬が多いからか。

はたまた 国境に近く何か 雰囲気が違うのか。

単に道路が雨で滑りやすく、障害物が多いため 不安なのか。

またはパンクや転倒した時に修理する場所がなくて不安なのか。

 

そんな気持ちを抱えながら ホイトンヌ村と国境への道への分岐点まで来た。

ここまでも なんか不安な感じはあったが より嫌な感じがしてきた。

なんか薄暗くて薄気味悪いんだよね。

左の道が国境に通ずる道。

未舗装道路ではないが道路の質が変わる。

右の道路のように アスファルトにしないのは何か理由があるのか。

ちょっと走ってみるもゴツゴツしていてパンクする危険性が高い。

それに昨日も何度も後輪が滑っており、転倒が怖い。

ちょっと行くと 赤い文字でタイ語で何か警告のようなものが書かれていた。

何か不安 心を煽るような赤字の看板。

その先に建物と簡易ゲートが見えたので、もしかしたら 検問所があったのかもしれない。

ちなみに国境はまだまだ先。

それを超えても、その後国境警備隊に捕まって、面倒なことになったらそれこそ 嫌だ。

それに 嫌な感じ もずっと してるので、結局戻ることにした。

 

帰りにこの前行けなかったワットに立ち寄る。

ホイトンヌン村とクンユアムの間にあるWatプラトゥムアン。

ここでも日本人兵士がお世話になったらしい。

その近くの川。

ここにも当時は多くの兵隊さんがいたんだろうな。

多分 川の流れを眺めながら 体力回復を待つぐらいしかやることなかっただろうし。

タイ 国境からホイトンヌン村もかなりあるし、ホイトンヌン村からクンユアムも20数キロある。

それぞれ 数日必要だったと思われる。

こんな大変なのに、様々な本や資料などには「ビルマからタイ 国境を越えてクンユアムに着いた」みたいなことしか書かれてない。

歴史には載らない場所。

今の日本人が誰も知らないお寺。

こんな場所でも日本人の兵隊さんが何十人 何百人ってなくなっているんだよね。

みじめに 野垂れ死んでるのに「息子さんはビルマで勇敢に戦って見後に散りました」ってね。

 

宿に戻って、長期滞在者の人とちょっと話した。

この辺の山に動物 植物などの調査に行っている人。

今年の初め頃ちょうどこの周辺の密林の中に調査に行ってる時に国境から何か 爆発する音が聞こえたとのこと。

その後 けたたましい車のサイレンの音とかが鳴り響いていて、その国境(の向こう側)からの負傷者が ここクンユアムの病院に運ばれてきたということだった。

ホイトンヌン村の雑貨店女主人も宿のオーナーの人も国境の向こう側 だが爆発事件はたまに起こるということ言ってた。

結果論だが行かずに良かったのかな って思う。

 

いつの日かこの国境が開かれたら、その時にまたバイク来て、ミャンマーに抜けて旅をする。

そんな日が来るかな…