朝起きると天気はいつもよりましそう。
あくまでもクンユアムが雨降ってないだけで 山の方を見ると 雲はかぶってるけど。
今回の旅のメイン「ホイトンヌン村」に行くことにした。
ビルマ、インパール作戦から撤退する時に、一部の兵士はタイの国境を越える道を選んだ。
ビルマから越境してきてタイ側に入った一番最初にある村である。
どういう道を当時の兵士が辿ったのか。
その景色を見たかった。
クンユアムを出るとすぐ道路が悪くなると思っていた。
未舗装道路の可能性が高いのかなと。
しかし 全然予想と違い 完璧な舗装道路。

驚くことに この 完璧な 舗装道路がずっと続いていた。
ただ今までと違うのは、
突然 崖崩れの跡があったり、

水溜りがあったり。
水溜りより、その横の陥落の方が怖い。

ここに間違えて突っ込んだら死んでたかも。
水溜りもここをちらっと見ながら乗り越えたが、かなり怖かった。
突然 道路が崩れたらおしまい。

この穴を横目に水溜りを超えたのだが この奈落を見た時に ゾッとした。
それを超えると 今度は牛。
これじゃあ フルスロットルは無理。
バイクで突っ込んだら、こっちが危ない。

なんだかんだ 1時間くらい走るも全然着かない。
おかしいなと思ってGoogle マップを見ると全然違う 山奥 だった。
赤印はクンユアム近くのWat toe pae、緑の点が国境とホイトンヌン村。

GPSなかったら全然分からない。
これだけ見るととんでもない山奥をさまよってるというか遭難してる感じ。
山奥とは言っても道もしっかりしてるし 村も学校もありしっかり整備されていると感じた。

雨が降ってきたので一旦 雨宿り。
結構寒くなってきて早く帰りたくなったきた。
それにこのルートは今まで通ってきた道と違っ、 常に何かの不安がつきまとう。
でもせっかく ここまで来たので意を決して 村に向かうことにした。
そして引き返して30分くらいりようやく分岐点があり そこから30分くらい走ってようやく着いた。
この手前に村があったが、犬だったり 人がちょっと怖いので写真を撮らなかった。
やっぱりこういうところへ来る時は現地ガイドのような人と一緒に来た方が安心だろう。

ちょっと先に行くと 未舗装道路になっていた。
雨も降っていて酷いぬかるみ。
この村に入ってもうすでに3、4回 スリップして転倒しそうになった。
なんとか橋の先まで行くも坂道 プラス 未舗装 プラス ぬかるみはきつい。
スクーターのタイヤではツルツルしすぎ。
絶対滑ってこける。

もう無理だ。引き返そう。
戦争当時はまさにこんな感じの道だったのかな。
こんな ぬかるみのそばに学校がある。
子供は35人いると言っていたから、近辺の森の中に人が結構住んでるんだろうな。

村の入り口の売店に入って 情報収集。
昼食を取ろうとするが 食堂ではなく 売店 なのでご飯ははないということだった。
しばらく話してると、卵入りのMAMAを作ってくれた。
その人はハジャイから来てるらしくて夫はカレン族の人。
夕方か 週末に来れば 四駆で奥まで連れてってあげるよって言ってた。

ここで大雨が降ってきて、しばらく 雨宿り。
ちょうど 屋根がある場所にいて運が良かった。
本によると 多い時でこの村に3、4000人の負傷兵がいたという。
ビルマのジャングルを彷徨い3,4ヶ月。
そこを乗り越えてきた負傷兵。
その多くの兵士は マラリアと下痢。
国境を越えて、ようやく同盟国にある休息できる地にたどり着いた。
念願だった数ヶ月ぶりの日本軍野営地について涙が出るほど嬉しくて且つすごく安心したと思う。
ただその後、野営地という名ばかりの当地の現状、薬も食料もない現状を知り絶望した人も多かったのかな。
雨をしのぐ 屋根がある場所すらもなかっただろうし。
もう生きて行く気力、体力もなくなって、ここで亡くなっていく 兵士も多かったんじゃないかな。
ホイトンヌン村。おそらく 多くの日本人が聞いたことないだろう こんな小さな村で、戦争中、数千人の旧日本軍 兵士が亡くなっている。
まさに 文字通り 誰からも知られることなくひっそりと歴史上から姿を消してしまっている。
生き残った兵士は体力が回復するまで数日か数ヶ月かこの村に滞在。
この川沿いにも多くの兵士が連らなって座っていたのだろう。
何を考えながら毎日過ごしていたのだろうか。

その後野戦病院があるクンユアムまで行けばば薬、食料が十分にあると信じて、もうあとひと踏ん張りと 思って頑張っていたのかな 。
旧日本軍の残したトラックが森林の中にあると聞いていたが、単独だと発見は絶対に無理。
それ以上になんとなく怖かったので、これで今回は帰ること。
小雨が降っているが、バイクに乗ると気分が晴れる。
森林を通り抜けるとたまに開けた道に出る。
バイクだと一気に突き抜けられて 気分いいが、徒歩だとちょっと気が滅入るかな。

奇しくビルマ戦線の兵士が引き上げてきたのはちょうど 80年前の同じ 7月前後。
毎日こんな雨が降る中、おそらく赤土の道はぐしょぐしょで普通に歩くこともままならない ひどい ぬかるみ。
雨に打たれながら生きるためには前に歩くしかない。
間違いなく 3ヶ月 か 4ヶ月 朝から寝る時まで濡れっぱなしだった筈だ。
当時の日本軍兵士の環境は文字通り地獄。
彼らは現代に住んでいる日本人の生活や日本を見たら、天国以上、夢のような場所に感じるだろう。
しかし自分を含めて多くの日本人はそうは思ってないだろう。
当時の辛さから見たら、精神的にも肉体的にも辛いと言える環境はない中で生きているはず。
ますますわからない。どうしたら今の辛さから解き放たれるのだろうか。