最近は日本でも旅してる時でも何度も思っている事。
学生時代の旅の始発点であり最終地点のバンコクに到着。
バンコク自体は好きではなかったが、旅の中継点としてのバンコクは好きだった。
しかし毎日、どこへ行き、何をして、何が楽しかったのだろうか。
バンコクの場合は中継点だったので多分1回の滞在で2~3泊しかしていない。
学生時代は安宿街「マレーシアホテル周辺」と「国立競技場周辺」に泊まっていた。
サイアムスクエアが好きで毎回必ず行ってたかな。マーブンクルンとセットで。
そしてSOGO。本屋があって、日本の新聞をよく買いに行ってた。
赤バス移動とかも、楽しめてたような気がするなあ。
適当なバスに乗って、町の風景を眺めたり、面白そうな場所で降りてみて色んな発見をする。
単にローカルな飯屋で食事をしたりするだけで楽しかった気もする。
今は同じことしても何も感じない。慣れすぎてしまったのだろうか。
それとも何か別の理由なのだろうか。
言葉が通じた時の感動もない。
タイ語はともかくベトナム語の単語と数字は去年初めて覚えて使った。
数字が聞き取れ、現地語で注文ができてもうれしさもない。
昔はもう少しうれしさとか、あった気がする。
多分現地の人と現地語で一言二言会話できただけで自分がすごいような気がして、それが楽しさにつながっていたのかもしれない。
今はその程度の事誰でもできるよ、って冷めた気持ちで見てしまっている。
又相変わらず観光客を見て、この人らはここへきてこれを見て何が楽しいのか、と思ったりもする。
綺麗な景色や観光地へ行っても、これ見てどうするのって思う。
ここまで来ると旅云々ではなく、別の問題の気がする。
感情部分の何かが欠陥しているのかなあ、とも思う。
旅に慣れすぎたのかもしれないし、更年期障害なのかな、とも思う。
バンコク到着翌日はホテル変更。
昨日の宿も不便な場所。先月泊まった宿はとんでもなく不便すぎる場所。
もうバンコクに泊まれるホテルの選択肢がほぼなく、中心部に泊まる事も出来ないのかな。
タイに限らずそうだけど、安宿街って今思うと街中心部の便利な場所にあった。
宿の目の前や少し歩けば街の中心部がある、って考えてみたらすごい。
タイで言えば、「マレーシアホテル周辺」や「国立競技場周辺」。
マレーシアホテル辺りはオフィス街シーロムまで歩いて行けるし、国立競技場周辺はMBKのほぼ目の前でサイアムスクエアまで歩いてすぐ。
だからといって、それで何が楽しかったのかは全く覚えてない。
何か面白そうな物を求めて、色んな屋台とか店を眺めたんだっけなあ。
自分の中では、これは「旅」でなく、「滞在」。
そして海外云々は関係なく、日本のアパートでやってた事をホテルでやればいいという考えの元で海外に来ている。
だから本当はこれを「旅」と考える必要はなく、楽しむ必要もない。
それでもやっぱり「旅」と捉えている自分が居て、何か旅の楽しさを思い出したい自分がいる。
中途半端と言えば中途半端。
やりたい事が何もない、という事が問題だけど、そこはどうにもならない。