48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

【2024夏旅】パッタルンでプチクライミング

宿がそこそこましなので、もう1泊することにした。

と言っても 歩いて回れるような小さい町でやる事もないので、近くあの象徴的な山に行ってみる事にした。

意外に遠いし 途中 何もない 田舎道。

野良犬が出てきたらやばいなあ、とドキドキしながら歩いていく。

歩いて2-30分で到着。

お寺があってその横の遊歩道を入ると階段があった。

そういえば 去年行ったダナンのマーブルマウンテン もこんな感じだった。人の多さが全然違うけど。

クラビのタイガーケーブと似たような感じ。

あの時も結構きついと思ったが、こちらの方が数段きつい。

又向こうは人がたくさんいたが、こっちはゼロ。

この山では登ってから降りてくるまで2時間位の間で人に会う事はなかった。

 

階段を少し登っただけですごく きつい。

蒸し暑いので汗がだらだら。脚部、脛あたりからも汗が滴ってる。

脚部に汗をかいた記憶ってあまりなく不快だけど新鮮な感じがした。

ハジャイの宿もそうだったが、たまに4、5階で階段なしという所があるが、それとは長さもレベルも全然違う。

登っても登っても先が見えてこない。

見えている目の前のそこまで登るまでの間に数回の休みが必要。

大学時代に登ったキリマンジャロ山を思い出した。

あの時もこんな感じだった。

すぐそこなんだけど、全然辿りつけない。

 

でもよく考えてみると これを作った人の方が遥かに辛く大変。

気の遠くなるような仕事だし。

1段 作ってまた1段、コンクリートを固めて階段を作る。

それを1,058段も作る。

 

休み休み登って30、40分ぐらい歩いてようやく 山頂らしきところに着いた。

山頂と言っても 実際その山の頂ではない。

これが最終地点?というような拍子抜けするような場所。

解放感もなく、景色も全然良くない。

ただ体力的には、これ以上は登りたくないという感じで、最終地点にたどり着けて良かったと安堵感はあった。

 

そこで休憩しながら何気なく Google マップの口コミを見ると、山の頂から撮った写真があり、どう考えてもここではない。

目の前をよく見ると ロープが つり下がっていた。

ああこれか。

ある意味、ここがスタート地点なのか…。

ロープを辿って登っていくが初めから結構きつい。

下とみると地面もないし、落ちたら大怪我するレベル。

周りに登山者もいないし1人だったら万一怪我したらやばいし、そもそも安全帯が必要な気もする。

足を滑らせて落ちたら、下手したら死ぬ。

結構登ったが先が全く見えてこないので、少し行ったところで戻ることにした。

真下からロープを見上げると、素人目にはほぼ90度に見えてしまう。

帰りは行き以上に足がすくむほどの恐怖を感じた。

最初の岩は急すぎてどこに足場があるか上からは見えず、木の枝に足をかける感じで降りてきた。

行きより帰りの方が怖かった。

 

再び休憩。

誰もいない山の上でゆっくりするのも良いものだ。

休みながら山から町の景色を眺める。

考えてみたらプーケットでも同じような感じだった。

何もせずぼーっと海を眺めている。

こんなんじゃ頭悪くなっていくばかり。

でもこれがサラリーマン旅であったなら至福の瞬間じゃないのかって思った。

例えば1週間、10日程度の旅出来て、来週からまた仕事の日々が待っている。

そう考えると、今この何もやってない山でのひと時が、贅沢な時間、空間に思えてくる。

ただ無職 毎日 時間を潰す 生活をしていると辛く感じる時間が多くなる。

やっぱり人生には束縛、労働が必要なのかなあ。

 

山を降りて、今度は町とは反対のお寺に行ってみる。

さっきまであの山の上に居たと考えると、何か不思議な感じだ。

洞窟があるという事で期待したが大したことはなく、がっかりした。

ベトナム・ハイフォン近くのカットバ島にあったような洞窟を期待してたが、全く違っていた。

その時近くにいたインド系のおばちゃんが、外のおばさん友達に「わー。ここはすごくいい場所だわー。」と笑顔満面・満足感いっぱいの表情で言ってたから、人によったら来てよかったと思える場所なのかもしれない。

寝釈迦仏があったので、両手を合わせて祈った。

なんとなく心が洗われた気がした。

「人生は苦である。」

それを実感しながら今を生きている。

ここから逃れるために、いつか宗教頼みになるのかな。