48歳人生落伍者の軌跡~無職無能、楽園を探してアジアを彷徨う

旅でも移住でもない。アジアの町でただ生きていくだけ...

2020年正月 バイク旅 パタヤ~シラチャ~ラヨーン②

 シラチャーに1泊して、翌日、イースタンシーボード工業地帯(Eastern Seaboard Industrial Estate)に向かう事にした。おそらくこんな所に向かう旅行者はいないだろう。

 昔タイに住んでいたころ、その辺の工場に勤めていた。当時はシラチャーから送迎車で向かっていた。車で1時間程度の距離にある。おそらくその近辺に勤めている日本人の方々の多くは、シラチャーから通勤しているのだろう。

当時の通勤路を思い出しながら、工業団地へ!

 その通勤路を、たどった旅をしたかった。しかし住んでいたのは10年近く前。又、当時も通勤路を自分の運転やバイクで行った事が道が全く分からなかった。それどころか、シラチャーで前に住んでた場所を見つけるのすら苦労した。

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Eastern Seaboard 工業団地の入り口。休日なので車も走ってない

 それでも所々、覚えている交差点とか風景があって、なんとかパタナゴルフリゾートまでたどり着いて、懐かしい光景に少しほっとした。どうも会社のドライバーは近道を通ったりしていて、大通りをまっすぐ来てたわけではなさそうだった。

 又、年末で工場も休みなので、車があまり走ってなく、朝のラッシュ時とは景色が全く違っていて、何度か道を間違えた。数年間毎日通った道でも、自分で運転したわけではないので、意外と覚えてないものだ。

 なんとか工業地帯の入口へ到着。平日の朝はかなりの車が走っているが、この日は人っ子一人いない。広々として快適だが、人がいなさすぎて逆に不安になる。

 この光景は中心部のメインストリートへ行っても変わらなかった。昔、その1角にフォードかGMの大きな工場があったが、なくなっていたようだった。

通勤時渋滞1時間の道のりを、1時間半かけてようやく到着!

 休憩はしなかったが、かなり迷ったりして、シラチャーを11時50分頃出発して、ホテルに到着したのは13時20分頃だった。

 Agodaで予約をしていたGrand ESIE(1泊¥1693)へ。ホテル自体は綺麗で良かったが、場所を考えるともう少し安くてもいい気がする。いや、逆に工業団地に行く人がいるから高いのか?

 昼食とらず、バイクで走りっぱなしで来たので、おなかが空いていたので昼食をとりに行く事に。

工業団地の近くには町があった!

 勤めていたころは、シラチャ(アパート)と工場の往復。又、だだっ広い工場団地内は工場以外何もなく、外出する機会もなかった。それこそセブン、飯屋まで徒歩1時間、かかる。陸の孤島状態。 帰りの車から眺めていても、町っていうのはなく、ずいぶん不便な所にあるんだなあ、と思っていた。当時はまだスマホもなく、Google Map もなかった(知らなかっただけ?)ので、見たものが全てだった。

 ホテルに到着して、Google Map で見ると、近くに大きな町がありそうだった。大きいか否かは、「Tesco Lotus」「Big-C」があるかで判断してる。近くと言っても10キロ位あった。工業地帯のメインストリートとして並行して走るように、町のメイン道路があった。働いている時はこんな近くに町があるとは思っていなかったので、驚いた。

 「あの頃知ってれば、ここに住んでたのに!」「この辺の工業地帯で働くなら、ここに住もう!」と思ったが、もういろんな意味で働く事は出来ないだろうな・・・。

 

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ボーウィンの町並み。道路は舗装されてなく、懐かしい感じがした

 町の中心あたりまでは近いと言っても10キロ位。更には途中から舗装されてなく、その上ガタガタの道で、ホテルから30分くらいかかった。改めて舗装道路の大切さを知った。舗装されてないと、2-3倍かかるし、なんせあの細いタイヤなのでパンクが怖かった。

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ロータスのフードコートでの食事

 ようやくロータスで食事ありつけた。腹いっぱい食べたい時はほぼこれを注文。注文の仕方が未だに分からず、「ご飯と全部。」と言って、ジェスチャーしてようやく通じる。これが非常においしく、大好物の1つである。90B(324円)。ちなみに値段は店というか、人によってかなり違う。単品で頼む人が普通みたいで、こういう注文をする人はいないようだ。念のため前もって値段を聞いて確認してからオーダーしている。たまに120Bとか言われる時もある。

 夕方、以前勤めていた会社の工場に行ってみた。建物は10年経っても綺麗で、工場を見るとあの頃の思い出が蘇ってきた。特別に楽しかったわけではないが、あの生活もよかったなあ、って思う。

 

 明日は目的地ラヨーンへ。

2020年正月 バイク旅 パタヤ~シラチャ~ラヨーン①

一番最近の旅は、2019年の年末~2020年正月にかけての9泊10日の旅。

初日は日本からバンコクパタヤへの移動。翌日、レンタバイク探しに。ソイ・ブアカーオ入口あたりの、小さなブースでやっているお店で借りた。そこにいたおばさんはオーナーで、息子と一緒にレンタルバイク屋をやっていると言っていた。

 何となくおばさんの人生 ー子供を産んで、一生懸命子供の為に働いてきて、中古のバイクを買いそろえて(念願の?)レンタバイク屋を始めたー 、が見えて、何か可哀そうな気持ちになって、そこで借りることにした。

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パタヤの町並み
借りたバイクと値段は?

 毎回値段と実車で色々迷ってしまう。向こうのバイクは必ずハンドルとかに違和感があり、例外なくぶつけたり事故ったりしてるような感じだ。へんな癖がある。

 今回はそれなりに長距離なので110ccでなく、135ccを探したと思う。最終的に借りたのは、SuzukiのHayateで125ccらしかった。日本では110ccのスクーターに乗っているが、それに比べて、パワーと伸びがあった。

 

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パタヤで借りたバイク

  6日間で780B+デポジット1,000Bだった。1日辺り130B。(約472円)前回もそうだが、130Bは普通みたいだ。自分の中では200B位が基本で、パタヤは150Bの店が多くある、とうイメージだった。綺麗なら200BでもOKかな、という感じ。ただその感覚は約30年前のもので、その当時から変わってない。

 パタヤも旅行者が増え、それに伴いレンタルバイクも増えて、競争が激化して値段がさがっているという事なのかもしれない。

まずは隣町のシラチャーへ!

 パタヤからは、スクンビットロードをまっすぐ。このスクンビットロードは、あのバンコクスクンビットロードだ。つまりバンコクまで繋がっている。10年ほど前に、ひたすら道路沿いをバイクで走って、バンコクまで行った事もある。

 今日はシラチャーまで。途中レムチャバンのハーバーモールという所で休憩。ここは昔シラチャーに住んでいる時に、週末買い物に来た場所。このレムチャバン~シラチャーの道のりをバイクで走るは週末の1つの楽しみだった。ただ景色がいいという訳でもなく、何がある訳でもないが、すごく開放的な気分になり、好きだった。

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シラチャーの海岸線

 パタヤから2時間ほどで、シラチャーについた。

 この町は、タイの中でも好きな町の1つだ。なんとなく雰囲気が好き。駐在員など日本人が多い町だというが、住んでる時はそんな多いとは感じなかった。 

 ここに住むには、個人的にはバイクは必須だと思う。住んで会社と往復だけなら、歩きで事足りるけど、やっぱり足があるのとないのでは違う。

Jパーク日本人村へ

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Jパーク・日本村

 当時は建設中だった、AeonやJパークに行ってみる事に。Jパークは意外に遠かった。「シラチャの中心部に住んでる人はどうやってくるのかな?」「わざわざこんな所まで足を運ぶかな?」って思うような町外れにあった。

 それでも近くに日本人学校もあるし、実は駐在員の方達が結構住んでるのかもしれない。

 中は日本風に作られていて、日系のチェーン店がいっぱいあった。ダイソーもあった。でも1回来れば十分かな。何を期待してた訳ではないが、少しがっかりした。 
 

唯一の?観光スポット、ロイ島

 シラチャーにはロイという島があり、橋で繋がっていてバイクで行ける。島内にはお寺があって、前に1度来たことがある。週末になると島は車で溢れかえり、橋の上まで路駐でいっぱいになる程だ。

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正面に見えるのが、ロイ島

 ここからはシーチャン島へ渡る船が出ている。ここに住んでる時は、身近に船で行ける島がある事すら知らなかった。今度来たら是非行ってみたいと思う。

 レンタバイクもあり、バイクで島を回れるらしい。

 今、改めてシラチャーの写真を見てるけど、今すぐにでも戻りたい気分!

今度行けるのはいつになるのだろうか・・・。

 

「海外沈没」について

「海外沈没」

この言葉を聞いて、ピンとくるのは一定の年齢以上の方だろう。若い人が聞いても意味が分からないだろうし、「楽しい」と思える響きはないように感じる。しかし私はこの言葉に魅力を感じる。

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 果たしてこの言葉を初めて聞いたのは、いつの頃だろう。おそらく30年近く前、20歳前後の時ではないだろうか。

 記憶は定かではないが、大学時代の旅の途中に聞いたと思う。後に分かるが、「沈没」という言葉が一般化したのは蔵前仁一さんの著書の影響だったようだ。

 初めてインドへ行った時、旅をしている人から言われた。「ゴーゴー・インド」知らないの?」。その著者が蔵前さんだ。

 帰国後、蔵前さんの本を読み、「へー、そんあ旅のやり方もあるんだ。楽しそうだな。」と思った。

 海外に旅へ出ると、エジプトのカイロやメキシコのメキシコシティーとかで、いわゆる「海外沈没」している人達に出会った。何カ月もドミトリーに住んでいるような人達だ。

今までの旅で「沈没」経験はなし

 あれから約30年、海外に住むことはあったが、「沈没」という経験はない。私のイメージだと「海外沈没」というのは、旅をしていて、たまたまある町を訪れ、好きになって長期滞在する、という感じだ。もちろんいいなって思って多少長く滞在する場所はある。しかし長いと言っても、1週間~10日程度だと思う。

 最長だと何処だろう…? オーストラリアのダーウィンで3週間程度だろうか?旅人と出会える場所で、すごく楽しかった。ダーウィンという町が好きだったというより、ダーウィンという環境(オーストラリア1周の旅人が必ず立ち寄る場所)が好きだったのかもしれない。

 モロッコの、とある町でも3週間くらい滞在したが、街が好きだったというか、ある出会いがあった結果として、長く滞在するようになった。あの出会いと思い出が、より一層、私を旅好きにさせた。

 

 今更ながら「海外沈没」したいと思えるような場所に出会うための旅に、いつか出たいと思っている。

 一般的には60歳の定年まで勤めてから、となるだろう。しかし「本当にそれでいいのか?」ってふと思った。 40歳を過ぎ、健康面に気を遣うようになる。どこかがおかしいとかではないが、体が不安になる。60歳になったら、今までと同じような旅ができないのではないか?という不安もよぎる。

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いつやるか?

 人間誰もがそうだが、その人の人生において今より若い時はない。それに「がん」等で60歳にも満たず、天国へ立ってしまう方もいる。そうすると、とりあえず定年まで仕事をして…なんて悠長な事を考えていると、その途中で、逝ってしまうかもしれない。

 そう考えると、「人生1度。やりたい事をやった方がいいのでは?」と思う。一方、60歳、65歳になりました。お金が無くなりました、では困る。

今は、その辺でどちらの道へ進むべきか、非常に頭を悩ませている状況だ。

この文章をいつか「海外沈没」している時、「あの時は悩んでたけど、思い切って旅にでてよかったよなー。」って楽しく振り返る事ができたらいいなって希望を込めて、こんな形で記録に残していきたいと思ってます。

10年後の自分へのメッセージ

「あの時、 良い決断をしましたか?」「悔いのない人生を送ってますか?」

「沈没できる場所を発見できましたか?」

 

 

 

 

 

 

 

聖地パタヤ

 1年程前から、セミリタイアのブログを見ている。その中で出てくるのがタイのパタヤ。楽しく、過ごしやすい町として紹介されている。

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パタヤとは?

 パタヤバンコクからバスで約2時間程の所にある、ビーチリゾート。首都圏から手軽に行ける場所として、有名である。私も学生時代、2か月ほどの旅の最後にバンコクへ寄った時、パタヤビーチに行くというのが1つの楽しみだった。

 水が汚いと言われるが、関東圏で育った私にとっては十分綺麗。ラン島まで足を延ばせば、透明度はかなり上がる。これが大都市から2時間で行けるなんて、なんていい所だ!って思った。

社会人1年目の正月旅行でパタヤ

かなり前の事でよく覚えてないが、すごくパタヤビーチに行きたくて、パタヤに行ける事を希望に、仕事をやってたと思う。ちなみにその2か月前にグアム旅行に行ったが、同じビーチでも全然違う。グアムはグアムでそれなりに楽しかったが、パタヤは何か違う。自由な雰囲気というか…。この雰囲気に魅了されてパタヤに行く人も多いのではないかと思う。

当時は地球の歩き方に載ってた日本人宿みたいのがあって、そこでの出会いも楽しかった。その宿の屋上で旅人と旅の話をするのは楽しかった。

パタヤで何をしていたか?

学生時代と20代前半は泊まる宿は決まっていた。ビーチはそこから歩いて10~15分位だろうか。ただ海で泳いだ記憶もないし、ビーチでのんびりしたって記憶も全くない。

かといって、夜の町を散策するかというと、それもない。バーで飲んだりするのは好きではないので、学生時代にパタヤでバーに行った事は友人と言った時のみ、かな。

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そうすると一体何をしていたのか?

  考えてみると、必ずレンタバイクは借りて、ジョムティエンビーチの方へは行ってたかな。海岸線をバイクで走るのは最高に気持ちいい。その為にパタヤに行ってた気もする。パタヤはレンタルバイクも安いし、そもそも旅でバイクを借りれる所はほとんどないしね。

 学生時代は途中から航空券購入地を香港からバンコクに変更した事もあり、旅の最後にバンコクに立ち寄る事が多かった。バンコクは好きではなかったのですぐにパタヤに来て、数日過ごして帰国、というパターンが多かったのかな。

 旅の最後の締めに立ち寄る感じだった。

 社会人になって、初めて短期の海外旅行を経験して、それまで経由地だったタイを初めて目的地にして、訪れたのがパタヤだった。あの時は仕事という束縛から解放されての旅で、帰国してからも良い余韻が残る心地よい旅だった。

あれから約30年経ち…。

 今…というか30代~アラフォー位の時は、人が多いしゆっくり出来ないイメージで、逆にパタヤは嫌いで避けていた。特に何か理由があるわけではないが、欧米人がどんどん増えて言って、なんとなく植民地的な感じがあって嫌だった。

 その間、タイで仕事をして3年程住んだが、その間行ったのは2回だけと記憶してる。

それも自分の意思で行った訳ではない。

そして、今・・・。

 You tubeとか、ブログを見てると、やっぱりパタヤはいいな、って改めて思った。又、行ってみたいと思ってる。

 確かにいろんな国からの人が来てるから、色んな国の料理が楽しめるし、それも格安で。普通に考えて、色々注文の多そうな欧米人が好んで暮らしている、って事はやっぱ暮らしやすい環境があるんだろうなあ。

 それに学生時代は楽しいとは思えなかった、バーとかに行って、昼間からビーチを見ながらビールを飲むって言うのも、新たな発見がありそうで、挑戦してみたい。

 コロナ後の旅の第1弾はパタヤかな?

仕事をいつ辞めるか

ここ1年位、毎日のように考えている。「仕事をいつ辞めるか…。」

 理由は色々あるんだけど、詳しくはいつかブログに書きたいと思う。今回はその時期について考える。

 去年位は、50歳まで何とか働いて・・・とは考えていたが、色んな環境の変化があり、考えも変わってきた。

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親の介護問題と仕事

1つは親の介護問題。まだなんとか大丈夫だが、近い将来介護は必要になると思う。そうすると定年まで仕事は出来ないし、それゆえ退職金を予定通りもらう事は出来ないだろう。自己都合退職だと、かなり低くなってしまう。

 それに親の介護が必要になる時期や年齢を考えると、自分が53歳位~60歳位までは介護が必要になってくると思ってる。つまり今のまま仕事をやっていたら、介護で退職で、自分が自由の身になる時は、60歳過ぎ。下手すると、その時には自分が要介護者になって、もう一生長期の旅に出れない可能性すらある。

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自由に過ごせるのは53歳ごろまで?

 そうすると海外放浪できるのも、今~53歳位までしかないのではないか。一方、今はコロナ真っ最中。仮に退職しても、海外に簡単に行けるわけではない。つまりコロナが収束するのを待たなければならない。これは1年後か数年後になるのか、誰にも分からない。

現時点での結論

とにかく、今はコロナの状況を見守るしかない。他力本願だが仕方がない。

海外に行けないなら、労働して、少しでも資金を貯めた方が良いので、道が開けるまでは、適当に仕事しながら待つ他ない。ただ訳あって、その前に首になるかもしれないけどね(笑)

 

第1回コロナワクチン接種完了!(ファイザー製)

先日、1回目のコロナワクチン接種をしてきました!ファイザー製のワクチンを接種しました。堀江さんやひろゆきさんがファイザー製のワクチンを接種しているという事で、受けても良いかなと思った。別に信者という訳では全くないのですが、色々な人の話を聞いたり、状況の分析した結果、ファイザーという事になったと思うので、その分析結果は受け入れても良いかなと。

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住所地外接種

 東京の大規模接種会場で接種をしたかったので、住所地外接種をする事に。(実際は自衛隊会場とかでは住所地は関係なし。) 私の実家は東京にある為、理由を書いて、その市区町村の役所に申請書を提出。1週間後位に、実家に役所から証明書が届き、晴れて接種の予約を取る事が出来ました。自分の現住所のある地域では暇人が多そうで、予約まで数か月先になりそうだったので助かった。

 ただ大規模接種会場(東京ドーム)の予約は10月になるという事で、実家近くの接種会場の予約をとった。

9月中旬、ようやく1回目のワクチン接種完了!

 接種会場はスポーツセンター内の体育館のような場所。なんとなく病院ではなく、集団接種会場で受けてみたかったので、希望が叶いました(^^

 パイプ椅子が体育館内に大量に並べられており、なんとなく学生時代を思い出すような、懐かしい光景だった。

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 注射は健診で血を抜く時よりも痛みが強い感じ。その後別のパイプ椅子でタイマーを首にぶら下げて待って、アラームが鳴って終了。

ワクチンの副作用は?

 打った後、バスの中では、「そういえばさっき注射うったんだっけ?」と忘れる程、何も感じなかった。しかし夜になると、左上腕部(左に打った)が膨らんでるような違和感を感じ、当日含め、3日ほどは左に寝返りは打たなかった。痛いとかではなく、何となく圧力をかけない方が良いのではと思ったので。

 ちなみに人によっては車の運転で痛みを感じるみたいだが、私はそれはなかったな。(接種2日後、マニュアル車で4時間ほどぶっ通しで走った。)

現在は?

 あれから4日程経つが、まだ違和感がある感じがする。普通の人より副作用が長引いている気もする。ワクチン接種翌日に、自転車で20kmほど走り、3時間ほど歩き回り、天丼食べる為に2時間待ったのが影響しているのだろうか…。

 当たり前ですが、安静が一番。今週は、スポーツジムには行くのはやめようかな。

とりあえず、ブログ開設。備忘録として記録を残す

初めてのブログ開設。ホームページなら、20年程前に作ったことあるな

 

特に日記的なものを付ける必要もないし、公開してもしょうがないかなあ、とは思ったけど、いろんな人のセミリタイア記録を見てるうちに、「いつか同じことを考えている人の参考になれば。」と思いやってみようと思った。

 

それに同じ状況にいる人と出会いたいというのもある。実際にまわりのアラフィフ(アラフォー、アラサーでも)でこんな事考えている人っていないですよね・・・。

 

ブログタイトルは今流行りのFIREとFire(解雇、クビ)を掛けてます。50歳で解雇を目指すってよく意味が分からないとは思いますが、その説明は追々ブログの方で説明していくつもりです。